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浪越徳治郎先生の指圧(5)

2010/9/28 22期 平島利文 4期 石原博司先生監修

「徳治郎先生の指圧」について、その基本の業を習得した継承者は極少数だと考えます。さらに、その奥義のすべてを伝えられる皆伝者は皆無であろうと考えています。少し方向を変え「徳治郎先生の指圧」が幻の業となった理由や経緯について私の立ち位置から述べてみます。

第一の理由は、「徳治郎先生の指圧」が徳治郎先生個人の優れたセンスにより生み出された比類なき名人芸(技芸)であることです。知的障害を持つ初対面の脳性麻痺児に自然に近づき、一瞬にして母親が嫉妬するほど身を任せさせる業の凄さは、戦慄と共に私の脳裏に焼きつき生涯忘れることはありません。徳治郎先生の口添えをいただき、多くが氏名や技術評価等の口外禁止という条件付きでしたが、大先輩方の指圧を体験させていただきました。残念ながらと言うべきか当然ながらと言うべきかを迷いますが、私は「徳治郎先生の指圧」に準ずる指圧を体験したことはありません。

第二の理由は、徳治郎先生ご自身の人格と信念に由来するものです。昔のことですが、日本指圧協会の若手幹部が「徳治郎先生から腕がいいとほめられた」と自慢げに語り、居合わせた先輩方から「本気にするな。先生は誰に対してもそう言うよ」と大笑いされていました。無論、この大笑いは若手幹部に向けられたものではなく、発言された先輩の“体験に基づく苦笑い”を吹き飛ばすための大笑いでした。「ほめて育てる」のが徳治郎先生の信念で「ほめて育てなさい」というのが教えでした。身の程知らずの私は何度も「先生にほめられたら、自惚れて習練しなくなるだけです」と苦言を呈しました。しかし、その度に「私はほめてもらえたから今がある」とたしなめられました。

名人芸(技芸)は、理論ではなく、個人の優れたセンスによって生み出されます。ですからご本人でさえ、その業をどのような手段で繰り出しているのかを理論的に説明することは容易ではありません。徳治郎先生は晩年を除けば、指圧の普及以上に指圧の法改正に心血を注いでおられました。さらに、テレビ出演等によりさらに多忙となられていました。理論化が困難な比類なき名人芸(技芸)をわずかな時間見て真似たら、叱られるどころか「あなたは上手だ」とほめられる。これでは、誤って伝わって当然で、優れたセンスで習得され、無意識で行っておられた業を継承することは不可能といえます。

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