About

HOME > 同窓会について > 会長ご挨拶

同窓会について

会長ご挨拶

父と私の座右銘    岩本健一

皆さま、こんにちは。私は、岩本健一と申します。このたび日本指圧専門学校同窓会の会長に就任させていただきました。日本指圧専門学校50期卒業です。父は、日本指圧専門学校22期卒業でした。

この場をお借りして、自己紹介と所感を述べたいと思います。

 

父の話をしましょう。

父は、横浜磯子の生まれで、4人兄弟の3番目でした。しかし兄と姉そして妹の3人は、20歳になる前に、全員が順番に肺結核に罹患し他界いたしました。

父は、高等小学校卒業後、外資系石油会社に勤めていましたが、大東亜戦争の始まる昭和16年、警察官に任官しました。しかし私は、父の制服姿を見たことがありません。刑事係だから制服を着なくていいと知ったのは、小3年の社会見学で警察署を訪ねた時です。 今ならTVドラマで常識ですね。

警察官でしたが、休日には、病弱な妻を少しでも改善しようと、ホーム指圧教室に通っておりました。そして、定年退職後に日本指圧専門学校に入学しました。22期生でした。 卒業後、岩本治療院を開設しました。平成6年、警察官永年勤続により、勳七等青色桐葉章を拝受いたしました。治療院は76歳まで継続しておりました。  その後、母のリウマチは進行し、腸閉そく、脳梗塞も併発したため治療院も休業しました。

私は、母を介護施設に預け、父を介護しながら、共に楽しく暮らしました。 父は、機嫌の良い朝は、トーストを食べながら、昔の刑事の仕事が、たいへん面白かったと、思い出話に花を咲かせました。 平成26年、脳幹梗塞から誤嚥性肺炎を併発し、93歳で他界いたしました。

父から、生きる態度として教わった習慣が:「今の食事が最後の食事」:でした。

毎食、これが最後かもしれないのだ。きちっと自分に合った量を食べるのだ。 ということなのです。  そうして、定期的な食事で、心も体も正常に働くし、もし食べられない時でも、体を支えてくれる。 というわけです。

 

さて、私の話です。

敗戦後の昭和23年(1948年)、横浜磯子の、山腹の貸家で生まれました。

祖父も祖母も早く他界しました。祖父は警察官、父も警察官、母は郵便局員でした。

一家は私が3歳の時、横浜駅近くに引っ越しました。これが今の住まいです。

小学校では、声も気も小さく、運動オンチ。2年生をもう1回やる特別クラスにいました。今でいう学習障害児クラスでしょうね。このクラスの子たちの勉強は、3年生後半になって、何とか追いつけたそうです。 このころ私の友達は、隣家の茂男ちゃんだけでした。

小4の秋、ゲルマニウムラジオを作りました。小遣い3か月分の600円。これが鳴ったのです。人生が決まりました。電気技師です。高校生になって、アマチュア無線に夢中になり、アルバイトしたお金¥14.000をつぎ込んで、送信機と受信機を作りました。

高一の時、父にバイク無免許運転がばれて、初めてビンタをもらいました。強烈なやつが、ガーンときて、8畳間の対角線上を吹っ飛びました。叱られたのは、この1回だけでした。 父からは、水虫ももらいました。痒くないけど、カサカサになるタイプが、全く同じでした。私が69歳の去年、完全に治りました。

高校3年、受験の頃、1967年1968年、学生運動は荒れ、東大すら入試ができませんでした。 私はと言えば、進学するには、我が家の学資は、ちと足りない。 奨学金制度もあるのですが、後で返すのが重荷です。 学資の要らぬ大学は無いか? 見つけました。防衛大学校です。しかし入試科目は多い。12科目でした。

私は、一浪して防衛大学校に進学しました。

外出は必ず制服でした。日曜日、外出先から防大に帰ったら、背中に痰が吐かれていました。乾いていました。 1960、70年代は、自衛隊を嫌うのが、ファッションだったのです。

2学年の時に、陸海空が決まります。海上要員に決まりました。2学年と3学年の夏の遠泳訓練は、おなかがすきます。快晴でも大雨でも、朝8時40分に入水に始まって、午後4時前に用具を片付けたら解散です。 2週間経つと、力も付いて「沈まないぞ」と思えるようになります。

この遠泳訓練期間中、夕食の時に自分に聞こえてきた言葉が、「今の食事が最後の食事~」でした。

その後、卒業してから海上自衛官を辞し、頑固に電気技師を目指しました。

こうして57歳の定年まで、サラリーマンのエンジニアとして、オーディオ会社と、コンピューター会社を経験しました。最後の会社は、会社乗っ取り解散で解雇です。

そして、父の了承を得て日本指圧専門学校夜間部に願書を出し、首尾よく合格できました。指圧にかかわる人生が始まりました。

 

食事を振り返る

さて、社会に出て感じたこと。それは、働く人達が、「3食をないがしろにしているなあ」ということです。 朝飯をとらない同僚もいたし、「これ終わったら夕食!」と言って、夜8時、9時、10時になる。これが不定期に起こりました。 これでは、アフリカの野生動物、ライオンや虎や豹の食事ですね。

上司が、部下にそのように要求していたら、従わざるを得ませんね。でも目的地に着いてからの食事では、脳も体も、力尽きる寸前でしょう。

収穫物の保存や農耕で1万年以上を過ごしてきた私達の体は、決まった時間に食事することが望ましいのだなと感じます。 とはいえ、ちょっとくらい不規則になっても、私達の体は、対応してくれるのです。

皆様も、「後天の精」を十分に養い、気力体力を最善の状態に保つようにいたしましょう。

そして同窓会は、明日への英気を養うため、会員相互の親睦に努めたいと存じます。

 

終わりにあたり、昨年8月14日にご逝去されました、故 鈴木林三先生に、在学中及び卒業後に賜ったご厚意に深く感謝いたしますと共に、ご冥福をお祈り申し上げます。

 平成30年 2月吉日


HOME > 同窓会について > 会長ご挨拶
Scroll Up