- 2014.04.23
- 2024.10.09
日時 平成25年6月9日(日)
会場 茗渓会館2階
(司会)
まず初めに、鮎澤聡先生の御略歴を御紹介いたします。 1986年3月、筑波大学医学専門学群卒業。2006年4月、筑波大学大学院人間総合科学研究科講師。2012年より筑波技術大学保健科学部保健学科鍼灸学専攻准教授をされております。御専門は脳神経外科、統合医学です。所属学会は日本脳神経外科学会など、脳外科関連学会のほか、人体科学会で現在、会長をされています。
それでは、鮎澤先生、どうぞよろしくお願いいたします。
(拍手)
(鮎澤聡氏)
はじめまして。ただいま御紹介にあずかりました、筑波技術大学の鮎澤と申します。本日はこのような伝統ある会にお招きいただきましたことを、厚く御礼申し上げます。
ご紹介にありましたように、私のバックグラウンドは脳神経外科ですので、手技治療とは一見関係がありません。ただ、今の所属は筑波技術大学・鍼灸学専攻で、ここに至った経緯の中に、私が求めているところがある訳です。そこで、本日は、これまで研究してきたことを辿りながらお話をしたいと思っています。
筑波技術大学は、浪越学園さんとは非常に縁が深い場所と伺っておりますので、今さら御紹介することもないのかも知れませんが、筑波技術大学は、筑波大学と道を挟んですぐ隣にあります。しかし、筑波大学とは別の大学で、視覚障害者と聴覚障害者の教育を目的とした国立大学です。視覚の方の保健科学部の中に鍼灸学専攻があり、私はそこに属しています。この近くの茗荷谷の理療科教員養成施設から来た教員も多くいます。
また、附属の施設として、東西医学統合医療センターがあります。ここには西洋医学の外来と鍼灸の施術所、あと理学療法の施設があります。
本日は、まず、私の専門としてきました機能的脳神経外科の紹介をさせていただいて、その後、生体の機能・秩序ということをどのように捉えていくべきかを考え、そこから機能的治療とは何かを考えてみたいと思います。そして、手技療法が機能的治療としてどのように位置づけられるかというような流れでお話ししたいと思います。
皆さんは、脳神経外科というと、どのようなイメージを持たれるでしょうか。多くの場合は、脳の中の出血を除くとか、脳腫瘍をとるであるとか、そういったことを思い浮かべるのではないかと思います。しかし、私が専門としてきました機能的脳神経外科というのは、それとはやや異なります。定義をすれば、「疼痛や異常運動などの機能的障害に対して外科的な方法で機能の調整、制御を行う脳神経外科学の一分野」ということになります。
対象となる疾患ですが、まず一つは、異常運動などの運動障害です。手が震えてしまうという振戦とよばれる不随意運動や、鉛筆を持つと手が突っ張って字が書けない、ギタリストがギターのピックを持つと手が突っ張って演奏できないといった、ジストニアと呼ばれる疾患があります。パーキンソン病に伴う運動障害も対象とします。脳卒中の後遺症や脳性麻痺に伴う痙縮も対象になります。次に、薬物治療に抵抗する難治性の疼痛も扱います。それからてんかんですね。薬でコントロールが困難でも外科的治療が奏功するタイプのものがあります。それから、日本では歴史的な問題で現在は行われていませんが、近年、諸外国では精神疾患に対する外科治療もかなり行われています。強迫性神経障害、うつ病、麻薬やアルコールの依存症などに対して行われています。先日も機能外科の国際学会に行きましたが、精神疾患に対する治療について多くの演題が出されていました。
この中で、指圧を専門となさっている皆様方にも割と身近にあると思われる、パーキンソン病と痙縮について幾つか症例を見てみようと思います。ところで、この機能的脳神経外科と一般の脳外科との大きな違いは、「見えないことを扱っている」ことだと思います。端的に言えば、痛みというのは目に見えない訳です。例えば頭が痛い時にCTとかMRIを撮っても、痛みというのは写らないですね。たまに脳腫瘍が見つかることもありますが、それでも、痛みそのものが見えている訳ではありません。この観点が、機能を扱う上では重要なこととなります。
そういった疾患に対して、我々は定位脳手術という方法を用います。まず、特殊なフレームを頭に固定します。するとフレームをすっぽりかぶっているようになりますので、そのフレームにXYZの三次元の座標軸があれば、頭の中の1点をXYZ座標の1点で定位できるわけです。このために、フレームを装着したままMRIやCTを撮り、コンピューター上で針などを刺していくルート・場所を決定します。これをターゲッティングといいます。この手術計画に基づいて、針のような手術のプローブを脳の深部に進め、その部位に熱を加えて破壊したり、あるいは電気刺激をすることで治療を行います。この定位脳手術は、機能外科の領域では欠かせない方法です。
凝固術あるいは破壊術というのは古くからある方法で、凝固針の先端から組織に熱を加えて神経組織の小さな部分を破壊します。一般に、不随意運動などの運動障害に関連した調節系というのは、脳の深部にあるので、定位脳手術などの特殊な技術を使って手術を行う必要があります。
これは振戦の患者さんの脳のMRIですが、形態的には異常は同定されません。しかし、視床という神経組織のほんの一部分が震えに関係しているということを、これまでの医学の歴史の中から我々は知って来た訳です。その部位に向けて針を刺していきます。
ここに写っている針は微小電極といって、これによって神経の電気活動を記録しながら、異常な活動を呈する部位を同定したり、あるいは神経活動の様子から針先のある部位を機能的に同定したりします。
手の震えている方の術中の電気活動の例をお見せします。シャッシャッ、シャッシャッという音が聞こえますが、これは、震えに関係した神経の電気活動を音にして術中に聞いていますが、喩えていえば、神経の声を聞いてるようなものです。モニター上でも震えと一致した波が見えます。この手術は局所麻酔で行い、患者さんは起きたままで、実際に手の震えなどを確認しながら行います。深部電極は、微動装置を用いて細かく慎重に進めていきます。記録により破壊する部位を決めたら、それようの電極に入れ替えていよいよ破壊します。ピーという音が鳴っているときに熱を加えて壊しているので、そのときに手の震えがどうなるか、見ていてください・・・止まったのがわかりますね。このように、あれだけ震えていた手が、ピタっと一瞬で震えなくなる訳です。
今お見せしたのは破壊術ですが、非常に小さい部位を慎重に破壊しなくてはならず、職人芸的なところがあります。最近はそれに代わって、同じ部位を電気刺激することで、破壊と同等の効果を得ようとする方法が行われるようになりました。これを、深部脳刺激術といいます。刺激電極を脳に植えて、リード線を皮下に通し、胸部に植えた発振器につなぎます。これにより持続的に脳を電気で刺激して、震えを止めます。ですから、この場合は慢性的に電極を留置します。先端には小さな電極が4つありますから、刺激部位・強さ・周波数などの調節が可能です。その点では、先ほどの破壊術よりも侵襲度が低いとも言えます。患者さんに選んでいただくと、最近はこちらの深部脳刺激術を選択される方が多いです。
これはパーキンソン病の例です。右上下肢に振戦を認め、回内、回外運動も滑らかさに欠けます。小刻みで背中を丸めながら歩くこの様子は、典型的なパーキンソン歩行です。
この方に、先ほどの深部脳刺激術を行いますと、術直後から、歩行の状態が改善したのがわかります。震えもなくなり、ターンなどの歩行状態も劇的に改善しています。この例では小走りまで出来るようになり、異常な筋の固縮が緩むことで笑顔もみられるようになりました。
適切な適応の下に手術を行えば、このように劇的な効果が得られます。ただ、術後レントゲンを撮ってみますと、電極や発振器などの機械が写り、ちょっとロボティックでもあります。臨床的には大変患者さんのためになっているとは思いますが、このような写真は個人的にはあまり好きではありません。何かこれに代わる方法ができれば良いと思うわけです。ただ、デバイスがもっと小さくなれば、心の負担は軽くなるのかもしれません。
この症例では、皮膚の上からプログラマーを使って刺激装置のスイッチをオンにすることで、手の震えが止まることがわかります。電気の活動で脳の働き方を制御しているということがお分かりいただけたかと思います。
次は、痙縮です。痙縮は指圧の領域でも多くの患者さんと接することと思います。痙縮の治療においては、伸張反射のループ、すなわち、脊髄から出る運動神経が筋肉に行く遠心性の線維、筋紡錘や腱紡錘が戻ってくる求心性の線維、これが脊髄内で介在神経を介してまた運動神経につながる、この機能的ループのどこかに干渉すれば、内服薬にしても外科治療にしても、あるいは手技療法にしても、それが治療戦略になると考えられます。
この痙縮に関連するループに末梢神経のレベルで干渉する外科的方法として、選択的末梢神経縮小術という方法があります。これは、痙縮に関係する末梢神経を外科的に細くすることで、過剰な神経活動を調節します。内反尖足は皆様も診る機会が多いと思いますが、これに対しては、足の膝の裏に皮切を入れて、その中から脛骨神経を取り出し、ヒラメ筋に行く枝だけを顕微鏡下に電気刺激を用いながら選択して1/5とか1/6に細くします。この手術では、ある程度の運動機能を残しながら、痙縮と関連する過剰な興奮を抑えることができます。1時間半位で済む比較的侵襲の少ない手術ですが、術後、下肢装具をはずせるようになるケースも多くあります。術中にも足関節のクローヌスの消失をチェックしながら手術を行います。
近年では、バクロフェン髄腔内投与という、薬の入ったポンプをお腹の皮膚の下に埋めて、脊髄腔の中に入れたカテーテルとつないで持続的に薬を脊髄腔に投与する治療方法があります。バクロフェンというのはGABA−Aのアゴニストで、脊髄後角にある受容体に働いて抑制系を活発にすることで過剰な興奮を抑えます。
これは脳性麻痺の子の例です。開排制限が強く、おむつをかえるのも容易ではありません。また、緊張が強くなると全身に波及し、後弓反張を呈します。このような子に先ほどの治療を行うと、緊張が軽減し、足の開排も非常に容易となります。この症例では、表情がとてもやわらかくなりました。また、術前は胃からの逆流などで経口摂取ができなかったのが、術後、経口摂取ができるようになり、栄養状態も良くなって顔がふっくらとしているのがわかると思います。
この例は、頭部外傷後に意識障害が遷延している、非常に重篤な方です。術前は痙縮が顕著で、リハビリテーションを行うことも容易ではありませんでした。この方に治療を行い、かつ積極的にリハビリテーションを行うと、このように体を緩ませることができます。ただ、関節がすでに器質的に固まってしまった部位には著明な効果が得られません。ところでこの方は、意識障害があるのですが、術後、何か表情が出てきた、あるいは気持ちが通じていると感じるような時があります。実際、御両親なども、何か分かっているようだとか、そういうことをおっしゃります。このようなケースでは、確かに脳の機能障害はあるのですが、「筋肉が硬いことによって外に表現できない状態」というようにも考えることができるのではないでしょうか。ですから、脳を治療するだけではなく、筋肉を柔らかくすることで、表現できずに苦しんでいる状態を和らげてあげることができるのではないかと。実際、この治療後に植物状態から脱却したという報告もあるのです。このことから、筋肉の緊張と脳の働きは深い関係があると思われます。
今、パーキンソン病と痙縮を例に挙げて御説明いたしましたように、機能的脳神経外科というのは、見えない働き方、機能の治療ということになります。
さて、機能というのは、このようなループで考えることができます。遠心路と求心路でできる機能的ループのどこかに干渉する、ということです。それは外科的治療であっても薬物であっても良い訳です。最近はこのような機能的治療をニューロモジュレーションという言葉で包括して呼ぶようになっています。
さて、これからいよいよ手技療法との関連にすすんで行きたいと思います。今、お見せしてきたような方法は、確かにすばらしいことではあります。しかし、機能を考える上では問題もあります。何が問題かと言いますと、我々は神経の活動を「神経回路」として電気現象を観測しているにすぎない、ということです。つまり、我々は神経を単純な機械の素子として考えているわけです。知らず知らずのうちに機械とのアナロジーが頭の中にあり、その神経素子の寄せ集めとしての脳を考えている。そのような観点では、神経細胞の自律性は全く無視されている訳です。もし、自律性ということを考慮に入れるのであれば、システムとして自律的な集団を円滑に働かせるための別の機能系、すなわち、神経の集団的な働き方を決めていくような、もっと広い情報系が身体にあってしかるべきだ、という風な考えに至るわけです。
ここで生体の機能ということを考えてみましょう。器質・組織は空間的な構造であって、働くものであり、静止した状態です。つまり物質的な側面を持ちます。一方、機能は、時間的であり、働き方であり、また過程です。あとで述べますが、関係性ともいえます。したがって、機能というのは本質的に見えません。病院には機能検査として心電図や脳波などがありますが、それらはあくまで現象として立ち上がった電気現象を見ているだけであって、機能そのものではないのです。例えば記憶はアセチルコリンであるとか食欲はオレキシンであるとか、我々は様々な機能を神経伝達物質の働きに還元して考えますが、実際その働き方の情報というのは、物質には内在しません。一方、機能的には、アセチルコリンなどのニューロトランスミッターがどのように働くかが大事なわけです。つまり、物質は機能の単体ではありますが、決して機能そのものではありません。生体の機能というのはこの人間全体の秩序を維持生成する働き方を与える情報として捉えることができます。さらに、我々が常に不確定な状況で動いていることを考えれば、人と人、或いは人と自然などといった様々な「かかわり合い」を通して働き方が相互創出されていくと考えられます。このダイナミクスが生体の機能であり、我々はそこに焦点を当てていかなくてはいけないのです。
もう皆さんは御理解いただけると思いますが、いわゆる西洋医学は器質的・物質的な治療であって、どこどこが悪い、何々が悪いというように病巣を空間的に局在、あるいは原因物質を同定して、それを除去したりあるいは補充したりします。したがって、器質的あるいは物質的に同定できない疾患には、西洋医学は非常に弱いのです。代表的なものに、自律神経失調症と呼ばれる疾患群があります。一方で、機能的な治療というのは、機能系への情報的干渉であって、働き方を操作するものです。機能を治す、というよりも、ここでは、「新しい機能を創り出す」という側面が重要だと考えています。
相互創出のダイナミクスに対して、私は「場」という言葉を用いています。ここでいう場とは、電磁場とか重力場とか、先験的にある物理でいう場とは異なり、いわば「雰囲気」のようなものとして考えていただくとわかりやすいと思います。例えば、私がここで突然にげらげらと笑い出したら、変な人になってしまいます。どうしてかというと、この場の持つ拘束から外れてしまうからです。急にげらげら笑ったり踊りだしたりしたら、まさに場違いです。大事な点は、この場という雰囲気の生成に自分自身も関わっていることです。ですから、それは相互創出されると同時に主客非分離の状態で、外側からは観測できないものなのです。外部観測はできないけれども、場に加わることによって、この雰囲気を操作していくことができる。うまくやれば、ここをおもしろい会にもできるし、逆にものすごくつまらない会にもできる、ということです。
これは一つのシェーマですけれども、この橙の大きい四角を生体と考えてください。そして、この青い丸と緑の丸を機能として考える。この機能の拘束から外れた異常な機能状態が黄色い丸です。これが機能的な異常として留まっている時はまだ良いのですが、固形化すると器質的な異常になります。それは、たとえば筋の硬結かもしれませんし、あるいは腫瘍であるかもしれません。では、ここにどのように我々が治療的に干渉していけるかということです。
それを表したのがこのスライドです。機能を共有することによって、異常な機能にアプローチする。そして、新しい機能を相互創出する。これが機能的な治療の本質ではないかと私は考えています。このような考えに至った過程を、つぎにお話ししたいと思います。
一つは、O-リングテストです。O-リングテストのことは、皆さんは多かれ少なかれ、御存じだと思います。O-リングテストでは、指の筋緊張の変化を使っていろんな診断をするわけです。基本的な手技は、例えば、心臓と関連した経穴に刺激を与えながら患者さんの指の筋肉の緊張をみると、もし患者さんの心臓が悪いと指が開いてしまう、つまり筋緊張に変化が出るというものです。興味深いことに、患者と検者との間に人を介在させても、その介在した人の筋肉の緊張にも変化が出る。ここまでくるとかなり怪しい話になるのですが、私自身は、このような現象はあってしかり、という立場に立っており、その観点からいくつかの研究をしてきました。
その一つとして、第三者を介してO-リングテストで検査をしている人達を、O-リングテストで検査をしてみました。スライドは実験のシェーマ(スライド11)と、実際の様子(スライド12)です。すると、なんと3人ともみんな同じ異常な反応を認めるのです(スライド13)。つまり、ある病気の人と一緒にいる人は、その病気の反応を共有しているらしい、ということが分かりました。しかしこのような現象は「痛みを分かち合う」などの言葉にもみられるように、実は非常に身近にあることだと考えています。また、O-リングテスト自体がこの現象を用いていると思われます。
つまり、O-リングテストは、筋の緊張を生体の秩序の指標として、行為的・身体的に診断しており、それには先ほどお示しした生体間のコミュニケーションを用いているのではないかと考えられる訳です。その意味では、O-リングテストは、客観的な観測とは言えないと考えています。
もう一つは、鍼治療をしているところで鍼灸師と患者の経穴の反応を、先ほどと同じような方法で調べてみました。すると、施術前は患者さんには悪い反応が出ます。一方、鍼灸師は正常です。さて、挿管して鍼を刺し切皮していくと、面白いことに、鍼灸師にも悪い反応が出てきます。さらに、捻鍼や雀啄刺激を加えていると、今度は2人とも良い反応に変化していくのです(スライド15)。これも、鍼灸師と患者の間で何か情報の共有があって、治療的な働きを相互創出しているのではないか、と私は考えたわけです。
これらのO-リングテストを用いた研究は、私にとって一つのエポックではありました。しかし、O-リングテストというのは、科学的な立場としては方法論として不確かなものです。したがって、不確かな方法で不確かなことを検討しても、何が何だか分からなくなってしまう。ですから、私自身もしばらく距離をおくことになりました。
ところで、先ほどの研究で鍼治療においては治療的な情報を相互創出しているのではないかと考えたわけですが、では、鍼治療で用いる「経絡」とは何なのでしょうか。
ここで、「生体の秩序」ということを考えてみましょう。秩序とは、物理の言葉では長距離相関がある、ということになりますが、その代表が「コヒーレンス」という状態です。こちらのコヒーレントな振動は位相が揃っていて非常に整っています。一方、コヒーレントでないインコヒーレントな振動は、てんでんばらばらです。また、コヒーレントな状態では、何かここに別の振動が来たときに干渉できる、ということも大きな特徴です。すなわち、秩序というのはコヒーレンスと置きかえることができます。したがって生体にもその秩序生成を保障するコヒーレントな系があるのではないかと考えられます。
さて、体の中にはいろんな振動・リズムがあります。心臓もそうです、脳波・呼吸もそうです。細胞の周期であるとか、たんぱく質の振動もあります。生体が一定の秩序を保つということは、これらの振動が調和していると考えることができます。実際、英語では、病気のことをディス・オーダーと言います。オーダーとは秩序のことですので、まさに病気とは秩序から外れた状況を指すわけです。
英国のフレーリッヒが、1968年ですのでかなり昔ですが、1秒間に1011とか1012回といったミリ波領域のコヒーレントな振動が生体にあるということを理論的に予測しました。また、そのようなコヒーレントな振動で、酵素の選択的な働きであるとか、生体の微弱な電磁波に対する感受性などを説明しようとしました。また、このコヒーレント振動の存在を示唆するいくつかの基礎実験が報告されました。しかしながら、様々な議論があり、必ずしも正しいかどうかいまだ明らかになっておりません。
一方、臨床的な立場からは、このような理論が正しいのであれば、ミリ波の振動を外から与えると何かが変わるのではないか、またそれを用いて治療的に干渉できるのではないかという考えのもとに、治療法が開発されました。これをマイクロウエーブ・リゾナンスセラピーといいます。日本語ではマイクロ波共鳴療法と訳せるかと思います。当時の東欧諸国で非常に盛んに研究が行われまして、私もこれに関心を持っていました。
マイクロウエーブ・リゾナンスセラピーでは、周波数40から70ギガヘルツくらいの、非常に微弱な、熱にもならないような弱い電磁波を経穴に当てます。そうすると、治療的な効果が得られる時には、全身の熱感・眠気・色彩感覚といった感覚が誘発されることが分かってきました。これを共鳴反応と呼んでいます。また、共鳴反応には周波数特異性があるということもわかりました。
当時、私はこの機械をウクライナから怪しいルートで輸入しました。当時の東欧の人たちは、ドルが欲しかったのですね、それで、機械は売るけれども、代金はアメリカの銀行に振り込めと。これは振り込んだらもうアウトかなと、ドキドキしながら送金したことを覚えています。ロシア語のシールが貼ってある機械が届いた時には、とてもほっとした記憶があります。
さて、この機械で痙性片麻痺の人を治療してみたのですが、そうすると、痙性が緩和しいわゆる分離運動に改善を得ることができました。また、この治療でもうひとつ重要な点は、健康な人には先にお話した共鳴反応がみられない、ということです。つまり、これは「悪いからこそ良くなる」、というタイプの効果なのですね。
たとえば、何か物を押すと、1押せば1動くし、2押せば2動く、というのが普通の線形の世界です。一方、ここで見ている反応は、必ずしも強い刺激が強い効果を生むものではありません。むしろ、非常に弱いけれども位相の揃ったコヒーレントな刺激の方が、いたずらに強い刺激よりも有効だ、ということです。たとえば指圧をする時に、強く押すのではなくて徹底的に弱く押す、もう触れているのかいないのか分からない、押しているのか押されているのかもわからない、もはや刺激とは言えないようになることが、実は有効な機能的治療として使えるのではないでしょうか。むしろ、人の機能あるいは機能的治療を考えていくには、そちらの方が本質ではないだろうか、と考えるのです。
ひとつ握薬と言えるような症例をお見せします。この方はいわゆるむち打ち症で、1年7カ月程、握力がせいぜい5キロぐらいにしかならないという状態でした。異常発汗などの自律神経症状も強く、星状神経節ブロックなど様々な治療をしたにもかかわらず、改善が得られませんでした。さて、ちょっとしたことから、O-リングテストで選んだ薬を本人に握ってもらって、手の握力を測ってみました。薬は、桂枝茯苓丸とイワシの油とバイアスピリンという抗生剤です。すると、弱かった握力が30キロぐらいに良くなっていた。しかし、薬を手から離すとまた戻ってしまう。でも、最初よりは良いわけです。それを何度か続けて繰り返していたら、最終的に、52キロまで改善してしまいました。なんと、健側の握力よりも良くなってしまったのです。これは、非常にまれなケースだとは思います。器質的な病気になる未満のところでぎりぎりで保っていたということでしょう。重篤な椎間板ヘルニアとかがあれば、ここまでの効果があるとは思えません。ただ、こういったケースがかなり存在するのだろうとは思っています。いったい薬を握って、何が作用したのでしょうか。薬の波動とか、いろいろなことが言われておりますが、いずれにしても、通常気がつかないところでこのような効果は確かにあるのだと、この症例を通して感じました。
これまでお話したようなことから、筋緊張は生体の秩序と深いかかわりがあると考えています。脈診は血管の緊張をみています。腹診も腹筋群あるいはその下の軟部組織の緊張をみているとも考えられます。スポーツもそうです。ある種の限界状況にあると、生体の秩序性が筋緊張に表われやすい。ほんの些細な刺激でパフォーマンスががらっと変わってしまいます。病人もそういう状況として考えられます。つまり、場の情報が筋緊張に現れる、ということです。このことから、逆に身体性から場を制御することも可能ということになります。
これまでの科学では、たとえば刺激が神経系を介して筋肉を動かすといった、神経回路の信号伝達を見てきたと思われます。しかし、それだけではなく、この神経回路の働きを全体的に統御する連続体があり、そこで機能創出がなされるのではないか、というのが私の仮説です。これは身体全体に広がる系であり、さらに、身体を超えた領域、人と人或いは人と自然にまで広がった系であって、それが生体の秩序生成に関与していると考えている訳です。
このコヒーレントな振動を、解剖学的基盤とすりあわせてみましょう。いくつかの代替医療や手技療法では、筋膜や軟部組織がその何らかの情報系として注目されています。では、筋膜あるいは軟部組織とは何なのかと考えますと、包括的には、細胞外マトリックスという細胞の周りを包むもやもやした繊維状の組織として捉えることができます。コラーゲン線維が一つの候補です。さらに、このコラーゲンの周囲には、水分子がきれいに配向して存在することが知られています。水のことを持ち出すと「水もの」と言われてしまいますが、私自身は、このコラーゲンに配向している水分子そのものが体内のエネルギー分布などの調節に関与しているという仮説に立って研究を進めています。近年はそれを支持するような研究も多く報告されてきました。
ところで、先に述べたマイクロ波の効果が本当であれば、機械を使わなくても人にそれと同じことができるはずです。しかも、機械よりも生体のコヒーレンスのほうがはるかに強いということが報告されています。ですから機械ではなく、人と人であるとか人と自然であるとか、そういった「つながり」そのものを生かすほうが良いのではないかと私は考えますし、ここに手技療法の出番があると思われます。また、自然治癒力というのは一般に「体の中の」免疫系の働きとして捉えることが多いと思いますが、免疫系はあくまで現象です。むしろ、免疫系を動かしている情報系、それは人と人のコミュニケーションであるとか、人と自然とのかかわり合いですが、そのつながりに機能の本質があると思います。
最後に、筋や軟部組織にある生体の秩序性をどのように研究していくかということで、私が今行っていることを少しだけお話しします。これは岩石の切片を偏光顕微鏡を用いて撮影したものですが、岩石に含まれる鉱物の結晶が、このように色づいて見えます。これは、複屈折という結晶のもつ光学的特徴でこのように見えるのです。
さて、今実験モデルにしているのがこのミジンコです。実は、ミジンコを先ほどの岩石と同じように偏光顕微鏡で見ると、このようにきれいに色づいて見えるのです。
これは何を意味しているかといいますと、ミジンコという生物には、先ほどの鉱物の結晶のような、ある種の秩序性がある、ということです。実際には結晶ではなく、液晶であると考えています。私はこれをモデルにして、筋と生体の秩序との関係を調べています。筋が色づいて見えているのは、筋そのものをみている訳ではなく、複屈折という、秩序と関係した光学的な性質を観察している、ということになります。ところでこういった美しいミジンコも脱水状態にすると、このようなきれいな構造は観察できません。ですから、やはりこの秩序性には水が関与していると思うのです。水自体がコラーゲン線維と関連したコヒーレントの情報系であり、液晶であり、しかもそれがエネルギー伝達に関与している、という作業仮説に立って研究を進めています。液晶は、熱とか圧力とか電場とかを与えることで秩序性が変化します。これは、指圧やお灸とかの効果を説明するのに大変都合が良さそうです。
さて、皆さんは、意識をどのように考えていますでしょうか。今、脳の意識とともに、「身体意識」ということを考えてみます。脳意識は随意的で要素的である一方、身体意識はいわゆる無意識との関連があり、脳がどう働くかは身体意識が決めている、とは考えられないでしょうか。つまり、今日お話ししてきた機能は、この身体意識、にほかなりません。そして、この身体意識が、生体の機能あるいは機能的治療を考えて行く上で重要であると考えています。
このような考えを展開していくには、新しい生命哲学が必要だと考えています。それは、例えば健康と病気という二分法で考えることをやめる。このサリュートジェネシスというのは、悪い場所を局在的に見つけるという今までの病理学ではなく、健康をつくり出すというような立場です。また、自然治癒力についても、今日お話してきたような観点で捉えることが必要だと思います。さらにいえば、時空論ですね。そして、新しい生命哲学に基づいた医学体系、これをエネルギー医学と呼ぼうが情報医学と呼ぼうが、あるいは場の医学と呼ぼうが、いろいろな呼び方ができると思いますが、そのような体系がこれから絶対に必要とされる、あるいは今もう必要とされていると思いますし、手技療法というのは、そこに非常に近いところにあるのだと思います。そして、本日お話したような、つながりを介した機能創出、という観点から手技療法が発展していくことを私は期待している、ということで、本日の講演を終わりたいと思います。
どうもありがとうございました。
(拍手)
(司会)
鮎澤先生、ありがとうございました。 皆様、もう一度鮎澤先生に大きな拍手をお願いいたします。
(拍手)