- 2011.06.17
- 2011.06.17
42期の金井トシキヨ(61歳)です。浪越徳冶郎先生と触れ合う機会は遠足のときくらいでしたがその夜の大宴会で「拙者はサムライ」という徳冶郎先生のよく通るお声でのちょっと艶っぽいお話に会場は大爆笑の渦、仲居さん達も思わず聞き耳を立てて笑い転げているのが印象的でした。徳冶郎先生といえば笑っているお顔が思い出されます。
先日インドへラフターヨガの研修会に参加してきました。ラフターヨガというのはヨガの呼吸と笑いを組み合わせ、笑うのに理由は要らないと10分以上皆で笑い続けるもので、いまや全世界70カ国にクラブがあります。参加して今まで謎だったことの一つが解けた気がしたので皆様にご紹介したいと思います。
その謎とは…、私が最後に徳冶郎先生をお見うけしたのは学校近くのファミレスでした。先生とおつきの方がお食事中、その脇を一人の幼い男の子が通りました。すると例のアッハッハッ、アッハッハッ、アッハッハッと徳冶郎先生の笑い声が…。男の子が通り過ぎてから数分間笑いっぱなしで、エーッ?何がそんなにおもしろいんだろう?と不思議に思いました。
「浪越徳冶郎 おやゆび一代」日本図書センター(未読の方はぜひお読みになると面白いです。エッと驚くエピソード、人との出会いやコミュニケーションや長寿の秘訣、経営哲学まで書かれています)によれば先生は昭和24年6月10日(時の記念日)に結成された「笑おう会」の“笑裁”にもなり、「一笑一若」(一つ笑えば一つ若返る)の実践者。世の中笑おうとしてネタを探してもそうあるものでもなく、笑っても何秒かです。笑いを受身で待っていても笑う機会はあまりないのです。頭で考えるのをやめ理由などなくてよいから笑いたいという気持ちを大事にして大いに徹底して笑う、先生のお気持ちはそんな風ではなかっただろうか、きっかけはなんでもよいから腹の底から笑っていらっしゃったのだと得心したわけです。1分間の心からの笑いは10分間のエクササイズマシンやボート漕ぎやジョギングに有酸素運動として匹敵するそうです。
“指圧の心 母ごころ おせば 生命の 泉湧く アッハッハー”この言葉には指圧の真髄がこめられているように思います。一つには“母ごころ”一つにはアハッハーの“笑い”です。笑いは徳冶郎先生のように“遊びごころ”から生まれます。指圧は車の両輪のように“母ごころ”と“遊びごころ”でなりたっているのかも…。