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浪越徳治郎先生の指圧(21)

2011/1/25 22期 平島利文 4期 石原博司先生監修

肩コリや腰痛等の疾病治療に関する大衆向けの書籍が数多く販売され、指圧は安全なものという風潮は高くなり、一般家庭において様々な疾病に対し安易に施されています。しかし、指圧に限らず疾病治療のための手技は危険であると考えます。もし無資格者が疾病治療に用いても安全なものであれば、指圧免許そのものが不要ではないでしょうか。

入学後、配布された時間割の指圧実技時間を見て、どんなすごい技を教えてもらえるのだろうと胸を躍らせました。しかし、実技講師の門間英夫先生から最初に受けた指導は「ここはコンクリートの上に薄いカーペットを敷いただけの危険な場所。不用意に体重をかければ肋骨は簡単に折れる」という内容で、疾病治療より危険回避の方が比較にならぬ程重要であることや、指圧に対し私が全くの素人であることを学びました。治療室では、カーペットの上にマットが敷かれていましたが、5階の道場にそれはありませんでした。その理由については明記しがたいので、同窓会の卒業名簿を参照してください。

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徳治郎先生は「指圧は芸術なり」とおっしゃいました。辞書では「芸術」について、一定の材料・技術・様式を駆使して、美的価値を創造・表現しようとする人間の活動およびその所産と説かれ、また「美」については、知覚・感覚・情感を刺激して内的快感をひきおこすものと解説されています。

そこで、私は、芸術の対象となりうるものを「誰にでもでき、その出来栄えや評価に差が生じ、人に内的快感を与えることが可能なもの」と定義しました。例えば、絵具と筆を用いて絵を描くことは誰にでもできます。しかし、その出来栄えや評価に差が生じます。同様に、指で身体を押すことは誰にでもできます。さらに、出来栄えや評価には差が生じ、人に内的快感を与えることが可能なものです。そのため、指圧も芸術の対象となりえると考えます。

絵画や音楽に無知な私がそれらについて云々すれば、「まず、学んでからにしろ」とお叱りを受けるでしょう。しかし、臨床現場で「あなたが指圧について無知だから、指圧の効果があがらないのです」と患者に告げることができるでしょうか。徳治郎先生は、知的障害を持つ脳性麻痺児の不安を一瞬にして笑顔に変えられました。無知なる者に内的快感を与えるものこそが真の芸術であり、これこそが「徳治郎先生の指圧」の真髄だと考えます。

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