連載
浪越徳治郎先生の指圧(10)
徳治郎先生と『指圧』のターニングポイント(転機)となった事柄を挙げるとすれば“二つの臨床結果”だと考えます。一つ目が徳治郎先生の名前を全国に発信し、二つ目は『指圧』の名称を世界中に発信しました。
一つ目は、昭和5年の出来事です。三千人の聴衆を集めた新聞社主催の講演会で講師をお勤めになられた石丸梧平先生(写真左)が札幌駅のホームで倒れられ、医師から講演中止を告げられた後に「徳治郎先生の指圧」により全快され、無事に講演を終えられたことに端を発しました。詳細は省きますが、この経緯が朝日新聞に写真入りで「この指、十万円也」と六段抜きで掲載され、徳治郎先生の名前は全国に発信されました。先生躍進の礎となった事柄です。
二つめは、昭和29年に新婚旅行を兼ねて来日したマリリン・モンロー(写真右:徳治郎先生八十歳の誕生日に花を付けた十二本立ちの生きたマリリン・モンロー)の胃痙攣に対する『指圧』の治療効果です。このことは、欧米の男性週刊誌に「新婚旅行中のマリリン・モンローが日本人野郎に全裸にされた」といった事件性を思わせるような見出しで掲載されたため、世界中の話題となりました。
「激しい胃痙攣の痛みを鎮痛剤なしで本当に治めることができるのか。しかも指で押すだけで」という疑問と共に、指圧(Shiatsu)という用語が、一般人に留まらず世界中の医療関係者に関心を抱かせました。「徳治郎先生の指圧」の効果は、あん摩の基本手技の一法である“母指圧迫法”による治療効果と取り違えられたまま、指圧(Shiatsu)という用語と共に、薬害を危惧する人々を中心にあまり改善機序が問われることなく、東洋の神秘として受け入れられていきました。後に指圧(Shiatsu)が国際用語となる礎となった事件と考えます。
身体への物理的刺激に対する生理的な研究が盛んになったのは昭和40年代で、昭和50年代には欧米を中心にエンドルフィン等の脳内麻薬様物質の発見が相次ぎました。同時に脳内麻薬様物質による鎮痛効果等が多くの実験で確認され、鍼麻酔に始まり、その他の物理療法に対する鎮痛機序が解明されようとしています。しかし、これは、生体が加えられた苦痛刺激から身を守るための防衛反応であり、“母指圧迫法”による胃痙攣等の改善機序の説明は可能と考えますが、「徳治郎先生の指圧」の改善機序を説明することは無理があると考えます。