連載
浪越徳治郎先生の指圧(9)
本来、『指圧』という名称は、あん摩やマッサージとは異なる独自の手技である「徳治郎先生の指圧」に対し国が与えた法文名です。しかし、国は法制化の準備段階でこの用語を「流派を問わず、指で圧すれば指圧」という曖昧な内容に変更して関係機関に通達しました。このことで多くの関係機関の人々は、『指圧』とはあん摩の一手技である“母指圧迫法”の通称と解釈しました。しかし、このことが一般に「指圧とは指で強く身体を圧迫する療法」という誤ったイメージを与えてしまったわけではありません。誤った指圧認識を短期間に定着させてしまったのは、国に『指圧』の独自性を認めさせた『指圧』の創始者である徳治郎先生ご自身だと考えます。
全国ネットで放映されたテレビ番組“アフタヌーン・ショー”の『浪越徳治郎の指圧教室』は、高度成長期の健康ブームに乗り、お昼の番組としては異例ともいえる高い視聴率を獲得しました。「指圧の心 母心 押せば生命の泉湧く」の名調子と共に親指を突き出すポーズがテレビ電波に乗り、日本中に広まりました。何故に徳治郎先生が「徳治郎先生の指圧」には存在しない手指操作を指圧のサインとして用いられたのかは定かではありませんが、この“親指を突き出す”ポーズが指圧を表すサインとなり普及しました。しかし、ここに大きな落とし穴がありました。それは、「徳治郎先生の指圧」には存在しない“親指を突き出す”ポーズですが、このポーズは“母指圧迫法”の中に存在します。結果として、指圧という名称は「徳治郎先生の指圧」を表す用語ではなく“母指圧迫法”の呼称となり、日本から世界中に広まっていったと考えます。
就職氷河期といわれる昨今からは想像できない「新入社員・全員ハワイ旅行」という時代もありました。同様に、徳治郎先生の学校を卒業したというだけで「門前市を成す」という時代もあったようです。双方とも長くは続きませんでしたが、「あん摩の看板では客が来ない」と全国で多量の看板が『指圧』と書き替えられたのもこの頃です。もちろん彼らの手技は、学校で指圧という呼称で習った“母指圧迫法”でした。
次章からは、一介の療術師から世界に『指圧』を発信した徳治郎先生のターニングポイント(転機)となった“二つの臨床”を例とし、“母指圧迫法”と「徳治郎先生の指圧」による改善機序の違いについて述べていきます。