行事のご報告
「なぜ自然出産か」 平成28年度 通常総会・懇親会(新入会員歓迎会)記念講演 市川きみえ先生
平成28年度 通常総会・懇親会(新入会員歓迎会)記念講演 市川きみえ先生
日 時 平成28年6月12日(日)
会 場 ホテルメトロポリタンエドモンド 3階
○司会 それでは、皆様、お待たせいたしました。
本日の講師、市川きみえ先生の経歴を御紹介させていただきます。市川先生は、広島県福山市でお生まれになりました。大阪市立助産婦学院を卒業後、大阪市立母子センターにて6年間、大阪府の正木産婦人科にて18年間、助産師として勤務されました。この間、約2,100人の赤ちゃんを取り上げられました。その後、日本赤十字北海道看護大学、名寄市立大学にて計4年間、講師を務められておられます。立命館大学大学院の修士課程を修了され、人間科学修士を習得されました。また、正食協会マクロビオティック師範科を卒業されておられます。そして現在、奈良女子大学人間文化研究科博士後期課程に在籍中でございます。
先生の助産院、バースカムイとは、神々の誕生を意味いたします。また、今回の会報では、このバースカムイの名前を間違えまして大変申しわけございませんでした。
それでは、「なぜ自然出産か」と題しまして、市川きみえ先生、講演をよろしくお願いいたします。(拍手)
〇市川きみえ先生
初めまして。助産院バースカムイの助産師の市川きみえと申します。どうぞよろしくお願いいたします。
今日は、このような場で、お話をさせていただく機会をいただきまして、本当にありがとうございます。また、過分なご紹介ありがとうございました。
そうしましたら、お話のほうに入らせていただきます。
今日のお話は「なぜ自然出産か」というテーマにさせてもらいました。それは、出産は本来自然のものであるにもかかわらず、今の日本の出産、はかなり医療化が進んできました。私は大阪府八尾市の正木産婦人科で18年間勤務したのですけれど、その間に自然出産に触れ、本当に尊い命の誕生の場というものが、自然であることの意味は大きいなというふうに常々考えておりまして、そのことを多くの人に伝えていきたいと願っていたからです。そのために、この年で学生もやり直そうと大学院の博士課程に入り、そして助産院を開設したという状況でございます。
まず、指圧学校でお話をさせていただくということで、一体私は何をテーマに、どこに焦点を定めてお話させていただいたらいいのだろうと、ずいぶん悩みました。そこで、指圧と助産の共通点を考えました。指圧のことは、実は私は全くわかりません。全然違うことを言っているかもしれないのですけれども、でも、もし違うというあたりは後で御指摘いただくことを前提に話をお聞きください。
最初に、指圧も助産もどちらも医療行為ではない。そこが共通しているのではないかと考えました。医療従事者ではあるけれども、直接医療行為をしない職業ではないのかなと。では、何をするのか考えたところ、まず目で「見る」。これには観察の「観る」と、診察の「診る」でもありますね。そして、手で触って、手で「観察」して、手で「診察」をする。この手と目で「みる」のは看護の「看る」、ですけれども、これは触ってケアしますね。それが共通しているなと。そして、もう一つ大事なことは、心で見る。目と手だけじゃなくて、「心」で見る。「心で観察」し、「心で診察」し、「心で看る」。そうすることによって各器官の正常な働きを促して、そしてそれが健康のレベルアップにつながる。私は助産をしながらずっと、こういったことを常に念頭におき、これを中心に置いてやってきましたので、きっとそれは指圧も一緒なのではないかなというふうに思いました。目と手と心で身体に備わった自然の力を引き出して機能を発揮させる、そういうことではないかなと。その点を中心に、これからお産のお話をさせていただきたいと思います。
私は自然の力で産んで生まれてくる自然出産、その中にすごく豊かなものを見てきまた。それで、今日は、自然の力で生まれる「豊かな出産」、それをキーワードにこれからのお話を展開させていただきます。
まず、この写真を見てみてください。これは赤ちゃん、生まれてどのぐらいの時間がたっていると思われますか。
はい。
はい。
○同窓生:1分ぐらいでしょうか?
○市川きみえ先生:1分。はい、ではその根拠は。
○同窓生:何となく。
○市川きみえ先生:ああ、何となく、ですね。はい、ありがとうございます。
きちんと時間を計ってないので、正直何分後かはわかりません。けれども、直後だということは間違いないです。
ここに顎があります。これはお母さんの顎です。赤ちゃんはお母さんの胸の上に腹ばいになっているのです。
○同窓生:ああ、そうですか。
○市川きみえ先生:
はい。赤ちゃんが生まれたらすぐお母さんの胸に腹ばいにして、お母さんに抱っこしてもらいます。それを最優先しています。そうすると、赤ちゃんは安心してあまり泣かないですし、こうやって周りを見ているのです。大体お父さんとかお母さんたちは、赤ちゃんに声かけしますから、そしたらそっちのほうに向くとか、両親の声かけに反応するのです。本当に瞬間、瞬間なのですけど、こんなふうに笑います。とすると、このお母さんの顔は、どうだと思いますか。どんな顔されているか、想像してみてください。倫理的な問題もあるので、お母さんの顔をここでアップするわけにはいかないのですが、恐らく想像の世界の中で御理解いただけるのではないか思っています。
多くのお母さんたちに自然の力で生まれるお産をしてもらいたいと、自然出産に取り組んで、しばらくたってからですけれども、赤ちゃんのこういう顔を見るようになりました。それで、“これだな”と思うようになりました。一人でもたくさんの赤ちゃんにこんなふうに生まれてほしい。そのために目と手と心をどう使うのか、それに集中して助産をしてきました。
そして、2011年ですかね、今から5年前に正木産婦人科をやめて、これから看護師、助産師になっていく人たちにこれを伝えたいと思って北海道にわたり、教員になったのです。そして、昨年、長年の夢だった助産院の開業に踏み切りました。旭岳は、北海道の中心にあって、北海道の一番高い山なのですけれど、私はこの旭岳が好きで、旭岳の麓に助産院バースカムイを開設したわけです。
旭岳は、アイヌ語で「カムイミンタラ」、それを日本語に訳すと「神々の遊ぶ庭」といいます。この山には神々が遊んでいるわけです。これは御来光、朝日が出たばかりのところなのですけど、この旭岳から出てくる朝日が大好きで、助産院は旭岳から出る朝日を見ることのできる場所に決めました。バースカムイのロゴもこれを描いています。結局、何が言いたいかといえば、赤ちゃんの誕生というのは旭岳から昇る御来光のように神々しい光のようで、例えば、先ほどの赤ちゃんの顔は、私にとってはこの旭岳から出る御来光にダブるわけです。それで、「バースカムイ」=「神々の誕生」という助産院の名称もでき上がったのです。
今日は、こちらの指圧学校の同窓会ということでお話しさせていただいているのですけれど、実は、去年の6月12日に助産院バースカムイの開院届けを保健所に提出しました。今日をもってバースカムイは、開院1年です。(拍手)
このような日に講演をさせていただくことを、本当に光栄に思っております。ありがとうございます。
さて、現在の日本のお産事情ですけれど、戦後、出産場所が自宅から施設に移り、現在では病院やクリニックの産婦人科、すなわち産科医のいるところでのお産が99.1%。そして0.7%が助産所、そして自宅その他の場所での出産は0.2%となっています。ほとんどのお産が医師のいるところで行われているのですけれども、どんどん出産施設は集約化しています。産科医不足の対策として、出産できる施設をまとめてお産をしようという策です。数年前までは、地域に個人のクリニックがあって、クリニックでお産をするとか、助産所もあり、出産場所に選択肢があったのですけれど、クリニックは妊婦健診だけにして、皆、地域の基幹病院で産みましょうということになっていきました。クリニックも助産所も分娩を扱いにくくなりました。北海道ではこの集約化が進んで、出産できる施設が偏在し、お産難民が続出しています。自宅から出産施設まで2時間以上もかかって健診にも通う地域がほとんどなのです。
そこで、何が起こってきているかということなのですが、医療介入の増加です。これは北海道に限ることではないのですけれども、どんどん帝王切開率は上がっています。要するに、より安全に、命を助けるっていうことを中心とした医療で、少しでもリスクがあろうものなら、帝王切開しましょうということが、どんどん進んでおります。骨盤位、これは逆子のことなのですけど、逆子のお産、多胎、双子とか三つ子とか、そういうお産はすべて帝王切開です。三つ子はリスクがかなり高いので帝王切開の適応は当然ですけれど、双子は、最近まで経膣分娩しておりました。また、一度帝王切開したら、次からのお産は慣例的に皆帝王切開が適応になっています。私が助産師になった頃、資格を取った頃は、こういったお産は経膣分娩だったのですけれど、ここのところは、ガイドラインもできて、慣例的にみな帝王切開しましょうということになっています。
そして、陣痛促進剤の使用ですが、大阪で勤務していたころは気づかなかったのですけれども、北海道に来てみて、家から病院まで2時間もかかるようなところに住んでいる人たちがかなりおられ、陣痛が始まってから病院に行ったら途中で生まれてしまう。その危険があるので、陣痛が始まる前に入院して計画分娩しましょうというのが通例になっている地域があることを知りました。予定日の3週間前から正期産になるのですけれど、正期産になったら、予定日前でも、入院、出産の日が決められるわけです。北海道に来て、教員になって学生を実習に連れていったときに、その現状を目の当たりにして、心が折れそうになりました。とにかく、陣痛促進剤使う頻度が高い。あと、会陰切開も頻繁に行われており、無痛分娩といって、お薬で痛みをとるという分娩があるのですが、そういうのも最近どんどん進んできています。
そういった中で、産科医はどんどん減っていく。だから、さらに集約化する。いろんなことが悪循環になっているわけです。それに、産科医の先生たちもリスクを抱えるお産はやっていけないということで、どんどん分娩を扱わず、不妊治療のほうに業務をシフトしていっているようです。
これは少し前のデータになるのですけれど、2011年のものです。
帝王切開率は約19%。5回に1回のお産が帝王切開です。でも、WHOは何と言っているかというと、世界中どこでも帝王切開率は10%以下が望ましいと。10%、15%を超える帝王切開が行われることは正当化されないと、WHOはそういうふうに言っていますね。世界中で帝王切開率が上がっている国はあるようですけれども、日本の現状としてはそういうことです。
冒頭で、正木産婦人科で自然出産に取り組んできたことに、ちらっと触れました。正木産婦人科で私が働いていたのは1993年から2011年ですけれど、その間、帝王切開は大体1%未満、1%を超えることもあったかもしれないけど1%前後でしたね。ほとんどなかったです。それはなぜかというと、やはり助産師は、お産をいかに正常経過に持っていくかということが仕事ですから、助産師がなるべく自然なお産を大事にしようと考え、お産を看てケアしてきたこともありますし、なるべく帝王切開は避けたいという院長の思いもあったからです。
実は、正木院長は逆子の取り上げの名医です。赤ちゃんが生まれてくるぎりぎりまで、お尻出てくるぐらいまでは助産師が看ていて、最後に体と頭を先生が娩出させるのですが、その娩出させる院長の技が本当に鮮やか、きれい、すばらしい。もう間違いはないというか、神業のようでした。もちろん双子も帝王切開はしませんし。1回目の帝王切開がどういう適応だったのかということによって経膣分娩できるかどうか関係しますけど、病院側が経膣分娩の方針ですと、ほとんど皆さん、1回帝王切開しても、その後の出産は経膣分娩にチャレンジし、無事に出産されていました。院長は、よく言っていましたけど、一度メスを入れると、そのあと出産する回数が制限される。1人の女性が子どもを産む数が減ってくる可能性があることを気にしておられました。3回以上帝王切開はしないですし、そもそも1度帝王切開したら、また次に産みたいという思いも、減ったりすることがありますから。でも、私はこの間に、双子の逆子、2人とも逆子の赤ちゃんも経膣分娩で生まれたのも見てきましたし、いろんな事例を見てきました。今なら帝王切開になるお産も、少し前までは、自分の力で産んでおられたのです。
さて、妊娠、出産は、女性にとって命をつなぐための命がけの営みで、それはとっても本当に大きく大きく、深い深い体験です。本当にもう至福に満ちた体験、自己を超えた至高体験になることもあるけれど、逆にちょっとのことですごく傷ついてしまう体験になることもあるのです。だから、細かな気配りが大事で、自然出産することには意味があります。
それから、後で事例を紹介しますけど、偶然の出来事、偶然にそんなこともあるのかなって、神様の仕業かと思うような、本当に神様がいるのかと思うような、奇跡に遭遇することもありました。
とにかく、命の誕生は、全ての根源だと私は思っているのですけど、女性が至福な出産をできることで、赤ちゃんが旭岳から出る御来光のように神々しく生まれることはとても重要です。
そして、私は、特に登山家というわけではないのですけれど、登山するときには登山とお産を重ね合わせてみてきましたので、その点を少し話しさせてもらいたいと思います。先ほどの旭岳は、ロープウエーを降りたところが登山口で、少し登ったところに姿見の池という旭岳を写しだす池があります。これは、3年前の6月16日に撮影した写真ですけれど、ここが山頂です。ここが山頂で、ここが登山道。この道を登っていくのです。ちょっと上がったところは、こういうふうになり、そして山頂がこんな感じなのですけど、やっぱり登山は自分の足で登り切るっていうことがすごく大事。この日はとっても天気がよかったので、下から山頂が見えました。登山は山頂が見えると登りやすい。山頂を目指し易いですよね。このような天気のいい、気候もいい日は体も軽いし、頑張って登れるのです。でも、登山はこんな日ばっかりではないですよね。こんな日に登れるのは運がいい。大体天気が悪くて、山頂も見えないし、どこに向かって歩いていくの?みたいな。そのような日の登山は危険も伴います。まかり間違えば遭難します。そして、最短コースとしてはここをこう登るわけですけれども、場合によったらここは登っちゃいけない、やっぱり違うルートで登りましょうとかね。そういうこともあるわけですよ、安全のために。そうすると時間もかかったりするわけです。そしたら、違うルートも考える。そして、いや、やっぱり今日はやめておこうというか、今日は休もうとか、途中まで行ったけどちょっとそこで休憩しようとか、いろんなことがあると思います。実は、お産も一緒です。最初から頂点目指して、この時間までにここに、何月何日この時間までにここに登り切る、そんなお産をしようと思うのは無理です。でも、今のお産は何かそういった風に、最短コースで早く産むのが良いみたいになっているわけです。そして、医療者が自分の足で登らせようとしない。医療者の都合でここ(山頂)に連れていってしまう。自分の足で登らなくても山頂に着くような出産が行われているように思うのです。
でも、山頂から見える景色はこれなのですけれど、ちょっと違う日、季節が変わってこれは9月ですけど、それにしても山頂からこういう景色が見えるわけですが、自分の足で登り切ってこれを見ると、自分の下には雲があって、向こうの雲のすき間からちょっとまた違う山が見えてとか、そうすると、もう何というか、“ちっぽけなことはどうでもいい!”みたいな、ただただ、自分は自然の中で生かされている一つの存在でしかないというか、何かそういう、ただそういうものを感じるだけで、そして、そこに本当の喜びを感じるわけですよ。だから、そういうことを、本来は出産でも目指すべきなのじゃないかなと常々感じていました。
そして、助産師はガイド役。今、安全に進んでいるのか、安全だから上に登ってもいいのか、今引き返さないと危ないのか、違うルートを探さないといけないのか、その先はどういうふうに変化するのか、それを全部キャッチして、山頂に導くっていうのが、私たち助産師の仕事なのだなというふうに、自分も山に登りながら、お産のお手伝いをしながら、重ね合わせて常々考えていました。そんなこともあって、旭岳の麓にバースカムイは開設したというわけです。
今度はお話を研究の方に移します。
「豊かな出産体験」をキーワードに、正木産婦人科で出産をお手伝いさせてもらいながら、当時、豊かな出産について調査をしました。出産体験は、母子関係とか母子の精神の健康が、その後の人生に影響するので、医療介入の少ない正木産婦人科で助産師として出産にかかわってきた立場で、豊かな出産というのはどういうものなのか、質的、量的に両面から体験内容を調査しました。
まずは量的研究でアンケート調査をしました。これは2007年に、だいたい半年かけて調査しました。そのとき227名の赤ちゃんが生まれているのですけれど、正木産婦人科では、このようにその227人のうちの帝王切開は2人ですね。そして、陣痛が弱くなったとき、ちょっと薬を追加してお産を進めましょうかということで、20%ちょっと陣痛促進剤を使っています。あと、出産のスタイルは、分娩台の上で仰向けでなければならないということではなくて、フリースタイル出産というのですけれど、必ずしも分娩台に乗って仰向けのスタイルで出産しなければならないのではなく、希望があれば自由な姿勢で産むフリースタイル出産を行っていました。そういった出産環境のもとで行われていた出産について、出産体験について心理尺度を使ってアンケート調査をしました。
この出産体験尺度、CBEスケールというのは18項目ありますが、この尺度に出会ったときに、“あっ、これで調査をしよう”と思ったのです。このスケールの中に痛かった、苦しかったとか、それを判断する項目がないのです。そのかわりに何があるかといえば、まず第1因子は、「幸福因子」です。「お産は楽しかったですか」、「気持ちよかったですか」、「幸せな気持ちでしたか」、「すぐまた産みたいと思いましたか」。こんな項目のある心理尺度を発見してしまったのですね。“これだわ!”と。お産って、そもそもこういう体験ですから。そして幸福因子以外にも、第2因子は「ボディーセンス」。これは、「自分のペースとかリズムを感じられましたか」、「自分の体の中で起こっていることがわかりましたか」など、自分の感覚として、ちゃんと自分の体のなかで起こっている変化を感じるお産だったかという質問項目になっています。また、第3因子は「発見」ということで、これも興味深い項目です。「お産をしたことで知らなかった自分に出会えたという気持ちがしましたか」。“どんな感じなの?”と思いますけど。でも要するに、出産することで新たな自分が生まれるというか、出産はそういうことですから、発見因子が開発されたのかなと思いました。他に「お産は自分を見つめることだと感じましたか」、「お産の間、自分の境界線がないような気持ちになりましたか」、あと、「何か大きな力が働いていて、それに動かされているような気がしましたか」、「お産の間はこんなこともしていたというように、自分の行動に驚きましたか」。それから、「知らなかった自分を発見しましたか」という項目がありますね。あと第4因子は、「ありのまま」ということで、自分を押し殺して我慢して出産するのではなくて、本当にありのままに声を出したり、感情を出したり、ありのままの自分であれたか、そういうことを尋ねる質問項目です。この18項目をみて、これを使って点数化してみようと思いました。回答は、「はい」、「いいえ」、そしてちょっとその質問の意味がわからないわという人には、「?」を、つけてもらうことにして、産後、入院中の5日間の間にアンケートに答えてもらい、「はい」と答えた数を点数化しました。18点満点になります。
そうしたところが、結果に有意差が出てきたのは、お産のスタイルでした。その他、医療介入の有無と会陰の裂傷の有無を中心に有意差があるか見ていきました。次のスライドをじっくり見てもらいたいと思います。
まず、出産するときの体位、姿勢ですね。姿勢によって点数が違うかなと。質問項目が18項目あるから。18点満点で計算してみたのです。出産のスタイルですが、この座位っていうのは、正木産婦人科は少し背中を上げて、座ってしまうわけではなく、正確には半座位なのですけれども、そういう座位分娩台を使っていましたので、この座位というのは分娩台に乗って姿勢を整えて出産するスタイルで、あとは分娩台に乗ってないフリースタイルです。側臥位、四つんばい、仰臥位。分娩台に乗らなかったら、おおよそこのどれかの姿勢で産むことになります。結果をこの図で見てみると、ダントツは四つんばい。自分で体を起こして産む四つんばいの点数が一番高かった理由は自然の摂理にあっているということでしょうか。次は横向き。分娩台に乗ってはいないけど上を向いて産むのと、分娩台に乗って産むのではあまり点数は変わらなかった。いずれにしても、分娩のスタイルによって、出産体験は違うということがわかりました。
そして、これはとっても興味深かった結果です。初産の場合、会陰切開を行うことが多いのですけれど、正木産婦人科では初産でも会陰切開を必ず入れるというわけではないのです。いずれにしても、私は自然の傷であろうと、会陰切開であろうと、傷ができたら縫合しますから、そのどちらかで縫合するのと、全く無傷との間で、差が出ると予測していたのです。でもその予測は外れました。自然に傷ができて縫合したのと、傷ができなかったのはまったく差がない。何に差があるかといえば、会陰切開を入れて縫合した場合です。自然にできた傷で縫合したのと無傷では差がないのに、会陰切開の場合は点数が低いのです。だから、いかに会陰切開をうけるということが出産体験にマイナスに影響するということがわかり、当初の予測とは違ったけれど、“なるほど。ああ、心理的な面を考えるとそうだな”というふうに納得しました。
そして、もう一つは出産の回数なのですけれども、これも予測を外れてしまいました。初産と2回目以上では差があると、私はそう予測を立てていたところが、初産と2人目の出産では、あまり点数は変わらない。で、3回目以上の出産で、ぐんと差が出ているのです。だから、出産の喜びを本当に味わえるというか、そういう体験になるのには、3人以上産む必要がある。それも“なるほど”と思いました、
そして、このデータです。当初調べるつもりはなかった結果です。調査をしていた当時、助産師が7人ぐらい勤務していました。就職したばかりで、まだまだ若手の助産師2人を省いて、ある程度の年数を正木産婦人科で勤務している助産師5人を比較すると、どの助産師が立ち会うかによって、女性の出産体験に差が出ることがわかったのです。出産にはリラックスできるということがすごく大事だと思っていたので、出産体験尺度18項目以外に、尺度とは別にリラックスできていましたかという項目を設けて、それにも丸をつけてもらいました。そうしたところが、助産師Aさん、Bさん、Cさん・・。その助産師によってリラックスできたと答えた割合が違っていたわけです。それだけでも驚いたのですけど。じゃあ、どういうケアをしているのか調べてみると、フリースタイルの分娩介助をしている助産師に立ち会ってもらった産婦さんは、リラックスできたと答えています。これが完全な相関関係にあるのです。逆に、リラックスできていたと答えた人は会陰切開を受けた人は数少ないのですけれど、リラックスできたと答えた人が少ない助産師の立会いの出産は会陰切開を受けた人が多いという結果が出ました。助産師のケアによって、産婦はリラックスできる。それが豊かな出産につながる、そういうこともわかりました。
では、それはどういうことなのかということなのですけれど、ホルモン分泌の生理的機序が関係しています。出産には生理的なホルモンが作用として、恐怖を感じるとアドレナリンが出てくるので、なるべく恐怖感、不安感、恐怖感というか、そういうものを排除する環境をつくることが大事です。助産師としては、不安になるような要素を排除して、リラックスできる環境をつくる事が大事です。ここでリラックスが重要って書いていますけど、リラックスできることによってオキシトシンが分泌される。これは分娩を進めていくホルモンなのですけれど、授乳にも関係します。おっぱいを分泌させるホルモンでもあるからです。オキシトシンというのは別名、愛情ホルモンとも言われています。そして、エンドルフィン、脳内麻薬と言われますけれども、このエンドルフィンも、絆形成をもたらすホルモンです。オキシトシンもエンドルフィンも愛着関係をもたらす、そういうホルモンなのです。助産師は、リラックスできる環境を整えてアドレナリンが分泌されないような環境を整えて、そしてこういうオキシトシン、エンドルフィンが分泌される環境を整えることによって、お産は順調に進んでいく、すなわち自然出産につながるということです。
そして、生理的機序としてホルモンが分泌されるという結果から、もう一つ調べてみようと思ったことがあります。オキシトシンが分娩時に分泌されるのであれば、きっとリラックスできたお産は、母乳哺育の継続的な効果にも影響があるだろうということで、調べてみました。まず、退院のときの母乳哺育状況ですね。これは母乳だけで育てている人の割合を示しています。この白いところは人工乳を補足している人の割合を示しています。フリースタイル出産をしたかどうかで母乳哺育を退院のときに比べてみたら、少し差はありますが、特に統計学上の有意差はなかったのです。では、何が影響するのかみてみると、医療の介入があるかないかによって明らかに有意差が出ておりました。そして、やっぱり会陰切開したかどうかによっても差があったのです。
母乳哺育と出産体験の関連について、退院時のことはそのぐらいにして、継続的な効果を見てみたかったので、1カ月健診に来られたときに、母乳だけの哺育か、少しでも人工乳を足しているかということを比較してみたのです。そうしたら、1カ月経つと、全体の母乳率は60%ぐらいまで減っていますので、それもがっかりしたのですけれど、それは横に置いておいて、フリースタイル出産だったかどうか、医療の介入があったかどうか、そして会陰切開したかどうかを調べてみると、どれも有意差が出ています。それも、なるほどとは思うのですけど、一番大事なことは、この中で、フリースタイルで産んだ人の母乳率が一番高い。そして、母乳率が一番低いのは会陰切開を受けた人。これが大発見でした。
会陰切開や医療介入を受けるかどうかとことが、いかにホルモンの分泌作用に影響して、その後、母乳哺育の継続にまで影響していくということですね。それについて、要因間の関係、概念図をつくってみたのですけれど、要するにフリースタイル出産で、会陰切開を受けないで、自然に会陰が伸びて赤ちゃんが生まれる、医療の介入のないお産というのは、オキシトシン、エンドルフィンの分泌が促進されていくわけです。そうすることによって、先ほどの18項目の心理尺度の項目にある幸福感とかボディーセンスを感じとるお産ができ、愛情形成につながる。心理要因として、こういったホルモンの分泌が促進されて、愛着関係、母子の相互作用として促進するわけですね。一方で、母親のホルモン作用が出産のときに促進されることによって母乳哺育も促進されて、またそれが母子の相互作用を促し、愛情形成につながる。そして、それがさらに促進されることによって、またお母さんのホルモンの状態、オキシトシンが分泌される。そういう循環になって、母乳哺育の継続的な効果にもつながるということですね。
出産は、母と子2人の命の営みです。命が誕生する際には、出産や母乳哺育を通して愛が育まれる仕組みがちゃんと備わっている。だから、出産はうまれた子の人間形成の基盤にも影響するので、どのような出産をするかはとても大事ということです。
そして、アンケート調査の後には、聞き取り調査もしました。楽しかった、気持ちがよかったお産、では、「どんなふうに気持ちがいいの?」って、いうことです。気持ちがいい、気持ちがいいと言われると、どう気持ちがいいのか、これは聞くしかない。至高体験という言葉を、皆さん御存じと思いますけど、心理学者のアブラハム・マズローは、「自然や宇宙、あるいは神などとのつながりを感じる、恍惚な自己の体験を至高体験と名づけて、もう本当に女性の場合、悟りや啓示や洞察といった偉大な神秘的経験や宗教経験を体験しやすいような仕方で子供を産むのが一番よい」と言っています。本当にリラックスした産婦さんというのは、変性意識状態になる。意識状態が変わるのです、極期のときに。いよいよ生まれるちょっと前ぐらいから半分眠っているのです。寝ているような、起きているような、起きているような、寝ているような、そういう状態になるのですね。そういうふうな状態になった人は、大体、出産後に、「ああ、気持ちよかった」って言いますね。
そして、ちょっと登山とまた重ね合わせてみますと、やっぱり登山も至高体験のチャンスとなります。山頂に登りつめたときに、全く違った景色を見て、絶頂感を得ますね。登山で、もしそういった経験ある方はイメージしていただくと、お産のその至高体験も何となく感じてもらえるかなと思います。
そして、至高体験の語りところで、気持ちよかったというお母さんたちは、どんな経験をしているのかなと思いまして、聞いてみると、このAさんの場合も面白いのですけど、「私の知らない私か、それとも神か、誰かわからないけど、息むときは今だと教えてくれた。息んでいるとき真っ暗な宇宙の中を登っていくような感じで、体全体がふわふわと浮いている感じ。異次元の世界でその場にいないような感じ」だと。神様が息むタイミングを教えてくれたと言うのです。とにかく本当に変性意識状態になっているわけです。他には、「砂漠の中のオアシスのような感じ」とか。「宇宙とか自然の流れに沿って自然に子供の力で生まれたような」とか。自分の力でどうこうして産んだのではなくて、何かもう宇宙とか自然の摂理の中で、子どもの力で生まれてきたっていう感覚なのでしょうか。自分がどうこう頑張りぬいて産んだという感覚ではないようですね。「異次元の違うところに放り込まれたような感じ」という人もいました。
そして、このEさんの言われた言葉に、私もすごくはっとしたのですけれど、「自分の中に動物的な本能を感じて、死ぬときもわかるだろうなと思った」と。自分が出産したそのときに、自分が死ぬときのことが直観でわかるだろうなと思ったというのは、とても出産が深い体験だったのだなと思ったのです。
そして、このFさんにはちょっと驚きました。確かに変性意識状態というか、半分寝ておられたのですけれど、それにしても「夢を見ていました」とおっしゃるわけですよ。「いつですか」と聞いたら「今です」と。「でも今、お産していましたね?」みたいな会話になったわけです。いよいよ赤ちゃんが生まれる30分、1時間ぐらい前ですかね、赤ちゃんの頭がちょっと見えるか見えてないかぐらいの時点から、本当に半分寝ていらっしゃった。陣痛には、発作と間欠があって、陣痛の間欠時に、本当に半分寝ている感じでした。陣痛が来ているときは、意識がないわけじゃないので、陣痛に合わせて息む。陣痛の間欠時に眠り、間欠時のたびに夢の中の場面が変わり、赤ちゃんが成長していったといわれたのです。最初に見た夢は赤ちゃんが生まれて、男の子を抱っこした。その次は、またちょっと成長していて、子どもが成長していく場面がどんどん出てきて、3歳ぐらいまで成長して、公園で遊ぶ場面になったら男の子生まれた。本当に男の子だったっていうわけですよ。“そんなこともあるのかな”と思いましたけど。でも、この方が出産時に、変性意識状態だったということはわかっていたので納得したのです。
そして、先ほどからエンドルフィンの話もちょっとしましたが、お産は痛くて苦しいだけのものではないけれど、やっぱり痛いです。自分も3回ほど経験しましたけど、やっぱり痛かった。でも、エンドルフィンは脳内麻薬ですが、痛みが極限のときに、この痛みを和らげてくれるエンドルフィンが分泌されるのです。そして、エンドロフィンの分泌によって、意識状態が変わり、そしてその極限のときに赤ちゃんは生まれてくる。なので、やっぱり自分で自分の陣痛を感じながら産む、陣痛を受け入れることがすごく大事なのです。
それと、もう一つは「シンクロニシティー」、共時性ですけれど、深層心理で精神科医のユングは、時間的に意味のある偶然の一致を共時性、シンクロニシティーというふうに言いますが、こういうこともお産のときにはたびたび起こります。人が亡くなるときにお知らせ、何か誰かが亡くなったとき、夢見たとかね。恐らくそういう現象があることは多くの人が御存じだと思います。でも、人が生まれるときにそういう現象があるということは、大体の人が御存じないようです。でも、私はこれを数多く見てきました。“そんなことがあるの?”っていうことが起こるのです。
今度は、その事例を紹介していこうと思います。具体的な事例として、特に多いのは、妊娠するタイミングや赤ちゃんが生まれる時期が、亡くなった親族を弔う日と一致する。親族の中で、誰かが亡くなって授かったとか、ちょうど一周忌のときに生まれるとか、四十九日のときに生まれたとか、何かそういう亡くなることと生まれることとが相前後して、例えば日にちなどが意味をもって一致していることがよくあるのです。後でまた事例を紹介しますけれども、赤ちゃんが生まれてすぐ、「わあ、かわいい」と言った直後に、産婦さんから「実は、誰々が死んだんですよ」という話が出てくるわけです。助産師としたら、“ん?、出産したばかりのこんなときに何が言いたいの?”と思うのですけれど、本人は生まれたわが子を故人とつなげ、いのちを捉えておられるわけですね。新しい命の誕生と親族の死というものを。そういう話を本当にたくさん聞いてきました。また、後で事例をご紹介します。
そして、あと家族や親族の中でお誕生日が一緒。これも結構あります。きっとこれだけの方がおられたら、誰々と誰々が一緒という心当たりがある方も、結構あるかと思います。あと、誕生日が一致するというのは結構ありますけど、珍しいのは、生まれた時刻が一緒とか、体重が1グラムも違わないとかですね。これも後で事例を紹介させてもらいます。
そして、あとは子どもさんとか死期の近い人が、いろいろと予言をするのです。子どものほうがお母さんの妊娠を先に知っていたとかですね。
そして、本当に多いのが家族の都合のよい日にち、時間に合わせてタイミングよく赤ちゃんは生まれてくるとうことです。立ち会い者の都合っていうのは、夫立ち会いが希望だったら夫の都合ということもありますけど、医療者も含めた立ち会い者の都合ですかね。
では、シンクロの事例の紹介をいたします。お父さんの納骨の月に第4子となる御長男を妊娠したAさん。私は、この方の2番目さん、3番目さんの出産をお手伝いさせてもらいました。そして4番目さんを授かって妊婦健診に来られたときに、「市川さん、(赤ちゃんが)できた!」と妊娠の報告をして下さったのですけれど、この人が言った一言に、はっとしたのです。お父さんの納骨の月に妊娠したというのです。そして、「お父さんが土に返ったからこの子が来たと思う」と。「命にはそんな循環があるんじゃないのかなと思うんです」と、さらっと言われたのですが、この方がそれをおっしゃって何年かたちますけど、Aさんのように、妊婦さんとのかかわりの中から、亡くなったご家族とのつながりの話を、聞くようになって、どんどん私は生まれる人と亡くなる人との間に起こるシンクロに気づいていったのです。
そして、この方の2番目さん、3番目さんの出産に立ち会わせてもらっていたので、勤務はローテーションしていますから、同じ方の出産に立ち会うのはなかなか難しいのですけれど、「今度も私がお手伝いさせてもらえたらいいな」と言うと、「うちの子、市川さんのとき(勤務しているとき)しか生まれませんから」と、そう宣言されてしまいました。「いや、それわからないでしょう」と言ったのですけれど、やっぱりそうなったのです。Aさんとの深いご縁を感じました。
Bさんは、長女さんが生まれたときに、生まれてすぐに旦那さんのおじい様が亡くなり、そのときに何か「生まれ変わりというのは実際にあるのでは」と思ったそうです。そうしたところが、その後に、お父さんが亡くなって、ちょうど一周忌の月に次の子どもさんを妊娠され、自分はまだ妊娠がわからない時期だったのに、長女さんが、「お母さん、赤ちゃん、男の子」と言ったと。この子は何を言っているのかなと思ったら、その後、実際に妊娠を確認して、男の子が生まれ、上の子の予言が当たったことに驚いたと同時に、「この子はお父さんの生まれ変わりだと思って育てています」と話されていました。
そして、このCさんは、ご長男が生まれて、お父さんが亡くなられ、そして妊娠したのですけれど、妊娠したら、ちょうど予定日がお父さんの一周忌のころだったようです。妊娠したころにお母さんも具合が悪くなっていて、4カ月のときに結局亡くなったのですけれども、妊娠して、お母さんのところにお見舞に行くと、お母さんは「お部屋のあそこにお父さんがいる」ということを言うような状態になっておられたようです。そして、そういう話をしながら、「あなたのおなかの子どもはね、男の子」、「名前は何々がいいよ」って言われたらしいのです。男の子と言われたから、「あっ、じゃあお父さんの生まれ変わりなんやねっ」と言ったら、「違う違う、この子は私の生まれ変わりだからね」と言って、それから5日後に亡くなったとのことでした。遺言でしょうか。そして「ちょうど母が亡くなったその時刻に気分が悪くなったから、お母さんの魂がこの子に入ったのではないかな」とおっしゃっていました。
この方は、2人目の子どもさんの出産に立ち会わせていただいたのですが、赤ちゃんが生まれて、「かわいい!」って言ったその次に、「実は4カ月のときにお母さんが死んだんですよ」といわれ、この話をされたのです。“出産したばかりで、亡くなった話?”と一瞬思ったのですが、生まれたばかりの赤ちゃんを抱っこして、延々と亡くなったお母様のお話をされるお姿は、大変感慨深かったです。
あとは、先ほども言いましたように、家族・親族間で誕生日が一致する事例はたくさんあります。Dさんは4月1日生まれですが、4月1日生まれにお嬢さんが生まれ、そしてまたおばさんも同じ4月1日が誕生日。誕生日が同じということはよくあるわけですけど、この人にとっては「4月1日生まれ」がキーワードでした。翌日になったら、4月2日生まれ。2日になると学年が変わるので、私が4月1日生まれじゃなかったらこの子は生まれてないと、赤ちゃんの顔見てすぐ言われました。この子にも絶対に4月1日生まれの意味があるということをつらつらと話され、「こういうことは生きていく上で大事だと思う」と強調されていました。
今度は、時刻に関するシンクロの事例です。兄妹で生まれた時刻が一緒となった方がおられました。御長男の出産にも立ち会った方ですが、私が当直のときに次の子どもさんを出産され、二人とも出産に立ち会わせていただきました。生まれて直ぐに、ママが抱っこしている赤ちゃんを、ご夫婦で「かわいいね!」と言いながらみていて、御主人が、「ところで何時に生まれたのですか?」と聞かれ、看護師さんが「8時17分ですよ」と答えたら、御夫婦で顔を見合わせて、「ええっ?!」て。“何がええっ?!かな?”と思ったら、「いやあ、上の子も8時17分に生まれたんですわ。そして、2人とも予定日から5日後の40週と5日に生まれた」と。そして最後に、「しかも、どっちも市川さんですよ」と言われたのです。私は、“はあっ・・?!原因は私ですか?私、何かしましたか?”と、そんな驚きと同時になんとも言えない喜びを感じました。ご主人は二人の子どもさんの出産に立ち会わせていただいた私にも意味を持たせて、あえて伝えていただいた。そのことが私にはすごく有難く、私の中の助産師の経験として、深いところに喜びが湧いてきました。そして、Eさん自身は、「みんなつながっているんですよね、人生の中で一番感動するのはお産、女に生まれてこういう経験ができてよかった。こんなこと言っちゃいけないのかもしれない、授からない人もいるからね。だけど、でも私は言いたい」というふうにおっしゃったのです。
そして、あと、上の子どもさんと全く同じ体重の赤ちゃんが生まれました。姉妹同士で同じ体重です。2番目の子どもさんは逆子で、Fさんは、逆子のお産を無事に産めるのか、すごく心配していたらしいのですけれど、何もなくつるんと生まれました。そして、看護師さんが体重をはかり、「〇〇グラムです」と言ったら、御夫婦2人で、「ええ・・??」と驚いておられるのです。どうしたのか聞いたら、「いや、上の子と一緒です」と。「えっ、1グラムも違わないのですか?」と聞くと、「そうなんです、一緒です」って言われたのです。そして御主人が「赤ちゃんって生まれどきを知っているんですかね?」と聞かれたので、「それはどういうことですか?」と聞き返すと、「昨日生まれても明日生まれてもこの体重にならなかったですよね」と言われたのです。「あっ、そうです、そうです、そうですね」と納得したのですが、後で聞いたところ「この数字は生活の中にあった」と。「生活の中にある数字って何ですか?」と聞くと、4桁の暗証番号。電話番号とか誕生日とかは、暗証番号に使わないようにというわれることがよくあるので、上の子どもさんが生まれてから、出生体重の4桁の数字を家族の番号として使っていたと言われたのです。もうびっくりしました。そして、ご本人さんは「こういうことがあったからつながりを考えた」と言われていました。ところが、私は助産師の立場でもっと驚いたことがあるのです。というのは、逆子は生まれてくるときにお尻から出てくるのですけれど、赤ちゃんは、からだをぐっと産道に圧迫されるから、いよいよ生まれそうな段階で必ずうんちをします。だから、出したうんちの量で、体重を最終微調整した?と思ったのです。いや、もう笑い事じゃなく、笑い事のようで笑い事じゃないというか、最後こうやって微調整したのかと真面目に思い、鳥肌が立ちました。こんなこともあるのですね。
あとは、実家が出雲のGさん。出雲さんは縁結びの神様で、日本では有名ですけれど、御実家が出雲のGさんは、旦那さんのお父さんが亡くなられた後に妊娠されました。妊娠検査薬で反応が出て、まだ病院に行く前に、出雲に在住のお母さんに、「妊娠検査薬で反応が出たから多分できた(妊娠した)と思う」と電話で話したら、お母さんが、「予定日は9月10日でしょ」と言ったと。何を根拠にそれを言ったのか聞いたら、「義父の命日なんですよ、ちょうど一周忌」。お母さんは「大体そんなのはよくあることよ」と、さらっと言ったと。それから、病院に行って診察してもらったらところ「予定日は9月10日です」と言われたと。どうやらお母様は全部お見通しで言い当てられたのです。結局生まれた日は一周忌の日ではなくて、御主人が仕事上一番都合のいい日だったようですけれど、私はGさんのお母様の予言を知って、こういったシンクロは、よくあることのようだということが、わかっていきました。
シンクロを体験した女性たちの語っている内容は何なのか。それをまとめてみました。「生まれ変わり」とか、生まれ変わりじゃないけど土に返っていくとかという「いのちの循環」、そして命はつくるものではなくて「授かる」もの、与えられるもの、そういうものだということ、そして、亡くなった方、御先祖さんから守られている、「死者からの守護」を語っているようでした。それは日本人の宗教的な感覚としてもともと持ち合わせていた感覚ですが、シンクロ体験を通してスピリチュアリティが目覚め、さらに宗教的な感覚が開花していくのだと思います。どういうことかと言えば、生と死を超えた命のつながりとか、命を授かる尊さとか、人と人とのつながりとか、そういうことをより深く理解できるようになる、そして、感謝の念が深まるということでしょうか。
自然の摂理に則った自然出産について、豊かな出産体験をキーワードにすると、身体感覚としての豊かさ、心理体験としての豊かさ、そしてプラス、スピリチュアリティ。それらが、全部備わった体験になっていくということが重要ですね。それがエンパワーメントにつながる。豊かな出産を体験することによってエネルギーが得られ、利己的ではなく社会に対して力を注ぐ原動力になることが重要だと思います。「なぜ自然出産か」の、私の答えはこういうことです。
そして、ある方が言われたのです。「出産ほど気持ちいいものはない。人生の中で一番気持ちがいいのが出産体験で、どんな体験よりも最高のエクスタシー。なぜまた産みたくなるんだろう。つながりを感じたり、自分が生まれたときのことを感じたり、何よりありがたい。誰もがこれを経験することができたら平和な社会になるのにな」と。
正木産婦人科で18年間、自然出産に取り組んだ内容をまとめて「いのちのむすび」という1冊の本にまとめました。今日のお話は、この中にまとめています。
今日はお話をさせていただく機会を与えていただきまして、本当にありがとうございました。(拍手)
○司会 市川先生、ありがとうございました。