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行事のご報告

平成24年度 同窓会記念講演 石塚寛先生

2013/5/13

日時 平成24年6月10日(日)
会場 茗渓会館2階

(司会)
皆さんこんにちは。初めに、本日の講師、石塚寛先生のプロフィールをご紹介させていただきます。

石塚寛先生、昭和35年3月、千葉大学理学部を卒業されました。昭和50年7月、東邦大学において医学博士の博士号を取得されました。平成5年12月、徳島大学の教授に任官されました。平成11年3月、徳島大学を退官されました。同じく平成11年4月、徳島大学名誉教授に任官されました。平成15年、日本指圧専門学校校長に就任されました。

それでは、石塚先生、どうぞよろしくお願いいたします。

(拍手)

(石塚寛氏)
改めまして、こんにちは。先ほど、川原同窓会長のほうから、解剖学は指圧に非常に大事な科目だとおっしゃっていただきましたが、今日のテーマは「おもしろ解剖学」という、ちょっと会長さんの意向にも沿わないかもしれないし、皆さんの期待にも沿わないかもしれないので、ちょっとテーマを選び損なったかなというような気もしますが、この期に及んでどうとかということはできませんので、あらかじめ整えてきたものをお話しさせていただきたいと思います。

本日はプリントを用意いたしました。まずは、1700年代後半ということから始めさせていただきます。何でこの時代を取り上げたかというと、やはりここのあたりに非常におもしろい出来事が解剖学の上でいろいろとありましたので、それをご紹介するという形にさせていただきたいと思います。

まず初めは、ジョン・ハンターという人です。ジョン・ハンターという人の肖像画があります。このジョン・ハンターは、イギリス人でありまして、1728年から1793年までいた人であります。それで、非常に変わった人なんですね。この人のことを書いた本がありますが「奇人まみれの英国でも群を抜いた奇人」こういう文があります。本は、ウェンディ・ムーアというイギリス人が書いているのですが、矢野真千子さんという人が訳していて、題は『解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯』というものです。原作の名前は『The knifeman』、私も解剖が好きで「包丁男」と言われた時代もありますが、これを見た途端に、ああ、knifemanを訳すと包丁男になるのかなって思ったりして、ひとりでほくそ笑んだというようなこともあります。

このジョン・ハンターという人は、非常にたくさんの標本をつくったんです。それで、後で回して見ていただきますが、表紙になっているところから、子宮の中の胎児を書いている、とにかく標本をたくさんつくったんです。その標本をつくるというのは、解剖しなきゃいけませんからね。解剖するというのは、イギリスといえども、何をやったかというと、お墓を暴いてご遺体を盗むという、大きな声じゃ言えないから(笑)声が小さくなりましたが、ご遺体を盗んで、自分の家に引き込んで、それでいろんな標本をつくるんです。あらゆる標本をつくっているということなんです。いまだにジョン・ハンターの標本館がありまして、これはグラスゴー大学のハンテリアンミュージアムというのがいまだに続いていて、私もちょっとそこへメールしたら、会員にさせられて、いつも「ハンテリアンニュース」というのを送ってもらっていて、今どんなことをやっているかというのがわかるようになっています。

一つエピソードがあります。それはどういうことかというと、スコットランドからチャールズ・バーンという、非常に背が高い人がおりました。言うなれば巨人症の方なんです。この方は1761年から1783年まで生きていました。志を持ってスコットランドからやって来たんですが、2メートル54センチという、すごい大きい人で、それゆえに正職に就けず、見せ物になって生活費を稼いでいたという人なんです。

その人に、ジョン・ハンターは目をつけて、あの人を標本にしたい(笑)それで、亡くなるのを待っているという嫌な話なんです(笑)。また声が小さくなりますが、嫌な話があってですね。それで、チャールズ・バーンもそれを感じてですね(笑)。自分が死んでもジョン・ハンターに遺体を渡すものかということで、周りの人に、いかりをつけて海に沈めてくれと、お願いしていたんです。ところが、チャールズ・バーンが亡くなったときに、ジョン・ハンターはニヤッと笑ったんだと思うんですが、チャールズ・バーンの遺体を沈めに行く人達に500ポンドを渡し、遺体を自分のところに持ってきて、とうとう標本にしてしまったのです。チャールズ・バーンに似合うような、大きなお釜をつくって、亡くなるのを待っていたという嫌な話ですが、こんなに大きな骨格標本をつくり上げたという、いまだにこれは飾ってあるんです。

それから2番目に、広島大学医学部医学資料館に展示されている星野木骨という、木でできた骨模型です。大学に展示されているのはレプリカ製品なんだそうですが。実際にこれを作った星野良悦も、藩に届け出て解剖もしておりますし、それから、刑場ですね。私も先週、この近くにある遺跡を見てきました。小塚原の回向院というのが南千住の駅の前にありますが、ああいう小塚原の刑場というのが近くにあって、そういう刑場で刑死をした、死刑になった人たちの骨を集めて、骨の研究をしていたんです。

その当時、日本では、真骨といいますか、宗教上の問題とかで本当の骨格標本はつくれなかった。つくれないから、骨学の勉強のためには、専ら木でつくったような標本が必要だったんです。そこで、星野良悦は、もともと広島の町医者をやっていたんですが、その人が、木骨をつくろうということで、自分がつくるわけじゃないんで、そのころは、工人というつくる人がいて、その人にいろんな注文を出してつくらせる。原田孝次というその人が、実際には標本をつくったんです。 それが非常に精巧にできているから、2004年に国の重要文化財になったというくらいの大事なものですね。

それで、杉田玄白なんかに見せたら、ああ、これは大したもんだというんで、身幹儀という、体の身、幹は幹ですね、儀は地球儀の儀ですね、そういう名前をつけて、身幹儀という非常にすごいもんだということで、後ほど国の重要文化財になったんです。これが1792年に完成しんたです。下のほうに、頭蓋の絵があります。この標本には、舌骨があります。耳小骨以外は全部そろっています。やはりすごいことだと思います。

それで、もう一つびっくりするのは、身幹儀の頭蓋エックス線側面像というのがあります。これがびっしりとできているもんですから、中は見れないのです。それでレントゲンで見たら、なんとトルコ鞍までつくってあったのです。トルコ鞍までできている。どうしてできているんだろうということで、後の人が考えたには、縫合を外して、中を全部きれいにつくって、また縫合したという。こういうことをやったわけです。後の人は外そうにも外せない。

トルコ鞍だけじゃなしにですね、硬膜静脈洞の跡があります。上矢状静脈洞とか、横静脈洞とか、S状静脈洞もあります。そういうものまでちゃんとできているというんです。篩骨の篩板があって、嗅神経が通る穴までちゃんとできているらしいんです。その上に、鶏冠までちゃんとつくられているというんです。そういうすごいものなんだそうです。

縫合を外すというのは大変なことなんです。縫合を外すのはどうするかというと、私はやったことないですが、縫合を外した人が何人も仲間におりまして、頭蓋の大後頭孔から、大豆をいっぱい詰めるんです。詰めて、水を中に含ませて、ふたを閉める。そうすると、大豆が発芽をするときに膨脹する。すごいです。その力で、縫合がメリメリメリと外れるという。多分そうやって中をつくって、また縫合したんでしょう。

これは日本で初めての木の、星野木骨と言っていますが、木でできた標本です。本当の骨格標本はつくれない、それから、持っていちゃいけない、そういうような法律だったんだそうで、したがって、こういうような木でつくったものを使う。こういうようなことだったんです。 それで、詳しいことが、私は読んでないですが、『木骨記』という、市原麻里子さんという人が書いたものがあります。

それから、各務文献という人が、やはり同じように、木骨をつくったんです。各務文献という人は『整骨新書』を著しました。整骨院の柔道整復師の元祖みたいな人です。『整骨新書』を幕府に献上したというような話もあります。その各務文献がつくった各務木骨といいます。この人もやはり、刑場に行って新骨を集めて、それでいろいろ研究をした挙げ句に、工人の荒川某という人に木骨をつくらせたんです。

これもまたすばらしい出来でして、例えば、鼻中隔なんかは、薄い銅板を使ってつくられています。また、歯は蝋石を削ってつくられています。これが非常にいい出来で、ドイツの博覧会まで展示に行ったというんです。1800年ぐらいのときにです。すごいことですね。そのときに、左足をなくされちゃったというんで、左足がないんです。非常に残念で、左足をつくってやろうかなんてちょっと思ったりしましたが、左足がないというのがドイツで行われた博物館に行ったときになくなったという、これも一つの記念ですね。

こういうふうにして、骨学の勉強をしたというんです。これは非常に大事なことです。その次も同じようなことですが、奥田万里という人がおります。この人もやはり、木骨をつくったんです。その木骨は女性の木骨だそうです。彼は各務文献の弟子なんです。各務師匠の跡を継いで木骨をつくったのです。池内某という細工師につくらせたというんですが、非常に細かくできております。中がどうなっているかということは、特に記載がないんですが、やはり恐らく、中まできれいにつくっているのではないかと思われます。

奥田木骨も、1819年にできたということなんです。このあたりだとやはり、かなり解剖の知識が必要だというようなことがあったんだと思います。こういう精巧なものをつくるというのは非常に大事なこと、これによって骨学がかなり発達したんだというふうに思います。そういうようなことで、3人続けて木骨づくりというようなものがあったので、私としては非常に興味があったということなんです。

次は入れ歯の話をします。これはかなり古いことで1538年に亡くなった人のところから出てきました。女性の入れ歯の話です。日本で一番古い入れ歯だというんです。入れ歯というのは、かなりいろいろつくられております。日本人は非常に器用なものですから、こういうきれいな入れ歯ができたということです。外国にも入れ歯がありますが、外国のものは、実際にかめる入れ歯というのはなかなかないということです。ただ、口を開けたときに、きれいに見えるという飾りみたいな入れ歯しかないですが、日本のものは実際にかめるというんです。今の入れ歯と変わらないというんです。とにかく、上顎にぴたっとくっついて、上顎の粘膜に張りついて落ちないようになっている、そういう精巧なつくりに、今でこそ入れ歯が張りついて落ちないというのは当たり前ですが、最初の仏姫という女性の木でつくられた入れ歯です。歯はいろいろあるんですが、これは木も黄楊でつくっていて、非常に丈夫になっているというんです。やはり歯の部分は、これからずっと後の時代になりますと、蝋石でつくられたり、また、女性ではそこにお歯黒を塗ってある入れ歯もたくさん出ているといいます。

いずれにしても、こういう入れ歯は非常に高かったというんです。だから、高貴な人しか入れることができなかったというようなこともあります。上顎に張りついて落ちてこない、そういうような機能的なことが日本人ならではのことです。木骨にしても、入れ歯にしても、いかに日本人が器用だということと、必要にかられてこういうようなものをつくっていくというのが日本人らしいかなというような気がいたします。

次は1774年に出版された『解体新書』の話をします。こちらをご覧ください。すごい桐の箱に入っていて、何か本物らしく見えますよね。実はこれは復刻版でして、この中を開けますと解説書が入っていて、こういうふうに、風呂敷に包まれた『解体新書』というのが出てきます。仰々しいですよね。『解体新書』をまさにひもときます。そうしますと、この中に、初めて『解体新書』が出てくるという。読んでもわかりませんが(笑)

この『解体新書』の復刻版は、私が若いころに苦労して、大枚はたいて買いました。買っておいてよかったなと思います。ただ見るだけでも(笑)絵を見るだけなんですが、これが結構おもしろいんです。『解体新書』ができたいきさつというのは、『蘭学事始』に載っております。杉田玄白というのが『蘭学事始』というものを書きました。『解体新書』をつくるに当たり、どんなことをやったかというようなことを綿々と書いてあります。

私も『蘭学事始』を読みました。物事を始めるということは、小舟に乗って大海に出るようなものだ。そのようなことをあえてやるんだというような、心構えを感じました。1774年に完成して、それから杉田玄白は長生きしまして、年を取ってから『蘭学事始』を書いたものですから、やはり記憶があいまいなところが中にいっぱいあるんだそうです。それで、私もそれを読んだときに、何て発音していいんだかわからないですが、「顔の中にフルヘツヘンドするものあり」というのがあって、それが人によっては、フルヘッヘンドとか、何かそういうふうに言うんだそうですが、それは、庭で木の葉をうずたかく積もった状態がフルヘツヘンドだというんですね。

顔の中に鼻がうず高い人もいれば、そうではない人もいるかもしれませんが、うずたかくなっている。つまり、飛び出している。顔面から飛び出しているのが鼻だ、そういうようなことが『解体新書』に書いてあるというようなことを『蘭学事始』に書いてあるのですが、実際に「解体新書」の原文にはフルヘツヘンドという字がないとか、そういうような研究もあったりするんですが。

とにかく、この杉田玄白、前野良沢なんかは、小塚原の刑場に行って、検死を見て、そのときに『ターフルアナトミア』というオランダの本を、杉田玄白と前野良沢が二人とも持ってたらしいですが、懐から出したら同じ本だったというんです。それを見ながら、死刑になった人の内臓を照らし合わせると、これは全くぴったしだ、当たり前の話ですが。それで大変驚いて、今までは五臓六腑といっても、はっきりした実感がないわけですから、それで『ターヘルアナトミア』を訳そうじゃないか、こういうふうなことになって、それで、さんざん苦労して『解体新書』ができた。こういうことなんです。

私は、先週の日曜日に、回向院にお参りに行ってまいりました。何回か行っているんですが、記憶が余りはっきりしないので、あえてお参りしてきました。回向院のところに行きますと、「蘭学の解体の記念に」と書いてありますが、入って右側の壁面に『解体新書』のレリーフがあって、これがいわゆる表紙になっていたものを復元して、壁にレリーフとして残してあるということなんです。

『解体新書』がここから始まったということで、回向院にお参りに行ったら、いろんな偉い人というか、有名な人のお墓が回向院にありまして、吉田松陰とか、橋本左内とか、頼三樹三郎とか、そのほか、高橋お伝という有名な人、ねずみ小僧というのも有名かもしれませんが、そのような人のお墓もあって、お参りしてきました。そういう刑死の人も回向院で、何か顕彰碑をつくったのでしょうが、そこに眠っていらっしゃるのかもしれません。そういうようなことで、回向院、小塚原、もともとこれは「骨が原」だったんだそうです。骨の原っぱ、刑死の後そのままにしたんでしょう、骨がいっぱい散らばっている骨が原、それを小塚原という、こういう名前に変えたということです。

もう一つ、聖路加病院のすぐ近く、明石町のところに、「蘭学の泉はここに」という碑があります。「西洋医学発祥の地」であり、ここは、中津藩の藩邸の中で『解体新書』の訳をやったのです。だから、ここが『解体新書』できた場所です。ここでみんなが額を集めて一生懸命になって訳した、その場所なんです。なので、「蘭学の泉はここに」。

もう一つは、慶応義塾の福沢諭吉が、ここに諭吉の塾をつくったんです。それが杉田玄白よりずっと後の話、1858年ですから、100年近く後の話です。ここにやはり、福沢諭吉は中津藩の人だったんですかね。そういうことで、ここで塾を開いた。それが慶応義塾。したがって、慶應義塾大学の発祥の場所ということになったわけです。

よく言われていることに、文京区というのは、いろんな名所、旧跡がたくさんあるということです。いろいろおもしろい話もたくさんあります。坂が多くて、坂に一つ一つ名前がついている、その名前のいわれをいうのを見てみると、これまた面白くて、今、BSのNHKで「陽だまりの樹」という手塚治虫の侍ものの漫画を劇にしていますが、そこに三百坂という、学校のすぐ近くの、セブンイレブンの横の坂、そこをお侍さんがわさわさと上っていく像を劇の中で見たときには興奮しました。

この道のあの狭い坂を、殿様の籠に追いつけない侍は三百文取られるという。三百文取られてなるものかと、ひしめき合ってあの坂を上がっていくところがちょうど映像として出てきましたが、そういうようなものがいっぱいあるんです、あちこちに。

その一つですが、これはちょっと大分時期が遅くなりますが、「美幾女」のお墓があります。お墓のあるところは念速寺という、どこかでお聞きになってたことがあると思うんですが、念速寺というお寺があります。伝通院さんの坂をずっと下がってきたところです。東大の植物園のちょっと手前にあります。そのお墓も、私も随分前に何回かは行っているんですが、先週行ったときに迷いまして、植物園まで行ってしまったんです。さて、こんなところじゃなかった、もっとわかりやすいところだったかなと思いながら戻ってきたところに念速寺がありました。念速寺というお寺に、美幾女さんという女の人のお墓があります。

この方の詳しい話は、渡辺淳一の「白き旅立ち」という本があります。もともとあの人は札幌医大の外科の助教授までやった人ですが、小説家ですからやはりフィクションがあって、ちょっと、えっ、本当かい?と思った節もありましたが、そこに詳しく書いてあります。その美幾女さんという人は、もともとは遊女であったんです。労咳という説もあるし、梅毒という説もありますが、亡くなったんです。亡くなる前に、亡くなったら解剖してもいい、私を解剖してくださいというようなことで、生前に解剖を希望なさった人なんです。

今、献体の会がいっぱいあります。私も白菊会というのに入っておりますが、亡くなったら解剖してくださいという会なんです。そのころそんな人がいなかったので、美幾女さんを篤志解剖第1号、こういうふうに言っています。東大の医学生は、解剖実習が始まる前に、必ず念速寺に行って、美幾女さんのお墓をお参りする、そういうようなことになっているんです。

後藤先生が念速寺にお連れするようなことが何回かありましたので、行かれた方も中にいらっしゃるかもしれません。そういうことで、ごく近くのお寺さんにそういった奇特な方のお墓がある。34歳で亡くなったといいます。それで、解剖なさったのは、田口和美という東大の初代教授が、まだ教授でなかったころだと思います。そういうようなことで、執刀者田口和美という先生は偉大な先生なんです。私が初めにお墓に行ったころには、ちゃんと美幾女と読めたんですが、それはもう随分風化しちゃっていて、辛うじて読めることは読めますが、これ以上風化しないようにというので覆っているんだと思います。

本来、遊女が亡くなったら、通常は無縁墓地に入れられる。これが習わしだというんです。ところが、この人は、すごい志を持った方ということで、親御さんへ東大からお香典が届けられた。そのうえお墓まで作られた。お墓をつくってもらうというのは、言葉は悪いですが、遊女さんのお墓なんていうのはもともとなかったんです。それを、お墓をつくってもらったということで、かなりすごい事象だということが言えると思います。そのようなことで、これは1869年のことですから、私のところ、日本指圧専門学校の近くにこういう解剖にまつわる場所があるというようなご紹介でした。

次は、レオナルド・ダ・ヴィンチの話をしましょう。

レオナルド・ダ・ヴィンチが、ちょうど、男女のセックスをしているところを半分に切った絵をかいたんです。こんな実物はあり得ないです。あり得ないけれども、ダ・ヴィンチが、こんなんじゃなかろうかというふうに書いたんです。右側の人が男です。左側が女の人です。それで、ちょうどセックスの最中のところを書いたのです。

昔ずっと、学校の修学旅行なんかで、夜生徒さんが私の部屋にたくさん集まって、『夜の解剖学』なんていうのをやっていたことがあるんです(笑)昔ね、夜の解剖学(笑)。いろいろ、夜に話したくなるような、解剖夜話といいますか、そういうようなことをやっていたことがあるんです。最近は生徒さんがいっぱい集まってくるんですが、ただ飲んでワイワイしているだけで、夜の解剖学の話をするのは久しぶりです。ちょっと、このようなおもしろい絵を発見したので今日はお話をします。

それで、ここに書いてあるのは、みんな鏡文字なんだそうです。これでは読めませんが、あの人は鏡文字で全部書いたというんです。字を鏡で写した状態で書いた、こういうようなことですね。ダ・ヴィンチといえば、1452年から1519年、随分古い話になります。これを見て、すごいな、よくこんな絵かけたなと思っていた矢先に、ちょうど1999年の「ブリティッシュメディカルジャーナル(BMJ)」という雑誌に掲載されていますが、ダ・ヴィンチの絵さながらの実験をMRIを使ってやった人がいるんです。

あの機械の中の、ガーガーガーガーいった、あのすごい騒音の中で、よくぞそんな実験ができたなと思われるぐらい、何組のカップルをつくってですね、それで、MRI画像を撮ったということなんです。それを1999年に「ブリティッシュメディカルジャーナル」に発表したんです。いろんな反響があったんですが、結局は、おおむねすごいという高い評価を得ました。MRIの画像は非常に見にくい、我々が見てもなかなか見にくいですが、それをつまり絵にすると、このような絵になるというふうに思います。確かに同じような格好、角度で書いてあります。これはイメージ図ですが。

それをもう少し詳しくというか、わかりやすくしたものが、ダ・ヴィンチの下のところに書いてあります。ちょっとわざわざ同じ形にするために、絵をこういうふうに回転させて書きました。そこにいろんな名称が書いてあります。そういうようなことで、このようなダ・ヴィンチの絵からヒントを得て、MRIを使ってこういう実験をするというのも、何か、すごいことかなというような気もいたします。そういうようなことで、何百年も後に実験をして、しかも、評判がよかったというようなシーンであります。

それで、このようなことがありましたという報告ですが、解剖の上では、解剖というのは、どうしても用語が大事なんです。用語が大事で、解剖は、何といいますか、暗記の学問だということがよく言われますが、覚えることは覚えないといけないし、そうかといって、全部暗記じゃなしに、一つのストーリー性を持って勉強すると、結構わかりやすいというか、何か聞いたときにも、そんなことはないだろうとか、いろいろなことが起こってくると思うんです。

そういうようなことで、もう一つお見せしたいものがあるんです。お見せするというのは、これは南小柿寧一という人が書いた『解剖存真図』というのがあるんですね。これは1819年、まさに1800年代の初めのころに書かれたものです。さっき、木骨をつくるのは、工人というか、作成者があったんですが、この南小柿寧一という人は、非常に絵心があって、『解体新書』の一部も受け持っているというくらいなんです。これは非常に江戸時代の解剖における最高傑作だと言われている絵があるんです。

ここにお持ちしましたが、『解剖存真図』という。これももちろん復刻版で、これも桐の箱に入って、すごいものなんですが、見てびっくりです。非常にすごい絵だと思います。そういうので、これが何と、私が大枚はたいても買えませんで、どうしたかというと、盗んできたわけじゃありません(笑)。12期卒の松本真一さんという人、知っている人も中にいらっしゃると思いますが、名古屋でずっと開業なさっておりまして、その方が、もう10年ぐらい前ですかね、私にくれたんです。私が持っていても宝が腐っちゃうから、先生にあげますというんで、すごい高価なものをいただいたんです。

私もみんなに見ていただこうと、あちこちでも、廣瀬先生なんかも授業に使って、後藤先生なんかもいろいろなところで使っていただいているというようなことなんですが、松本先生は昨年12月に亡くなってしまったんですが、いただいたものは大事に扱っていくつもりです。『解剖存真図』は、南小柿寧一先生が自分で書いたんです。かなりすごい人なんです。みなさんに見ていただければと思います。

それでまた話を続けますが、解剖というのは、いろいろなややこしい名前がいっぱいありますが、よく見ると結構おもしろいことがいっぱいあります。

例えば、宇田川玄真という、榛斉ともいいますが、『医範提綱』という本を書きました。その中で、腺という字と、膵という字を自分でつくったんです。腺というのは、唾液腺とか、いろいろな腺があります。甲状腺とかね。それは、体の中からホルモンを湧き出させるという意味で、にくづきに泉と書いて腺とする。こういう字を書いた。日本でできた字なんです。

それから、膵臓の膵です。膵という字も、これは原語を直訳したんです。膵臓のことをパンクレアスというんですが、パンというのは、広げるというのと、広いところから集めるという意味があるんだそうです。クレアスというのは、お肉のようなという意味で、膵臓を見ると、何かよくわからないけれども、肉の塊みたいにも見えるということで、クレアスはにくづきにして、パンは集めるという字で膵という字を作りました。それで膵臓というんです。これも玄真さんが直接つくった字なのです。

そういう意味では、『解体新書』の中にもいろいろ、神経なんていうのも玄白さんたちがつくった用語です。それから、臗骨(寛骨)なんていうのも『解体新書』で初めて出てきたといいます。門脈なんていうのも『解体新書』でつくられた解剖用語だということです。そういうようなことで、皆さん苦労してわかりやすいように字をつくってきたので、そういうことも評価して、覚えていくということもいいと思います。

それから、いろいろな粋な名前といいますか、そういうようなものもあります。昔の事象を持ってきて名前をつけた。アダムのリンゴというのもありますね。喉頭のことをアダムのリンゴといいます。出っ張っているんですね。これは昔、失楽園で、アダムが蛇にそそのかされて、禁断の木の実のリンゴをのみ込んじゃったんですね。のどにつかえたために、アダム、つまり男性のほうにはのどにリンゴができている。男性は喉仏が飛び出ていますので、そういう意味で、これをアダムのリンゴとしたんです。

イブはそのときに、二つのリンゴを飲み込んで胸につかえた(笑)、そんなのはないですね。そうかもしれません。

ビーナスのえくぼなんていうのもあるんです。腸骨棘というのがあります。指圧師の皆さんだからよくわかると思いますが、上後腸骨棘というところは、皮膚と骨がくっついているんです。その間に、脂肪もなければ筋肉もないから、そこのところがへこんでいるんです。ちょうど腰のところにえくぼのように見えるというんで、そこをビーナスのえくぼといいます。これなんかも粋な命名かもしれません。

それから、嗅ぎタバコ窩というのがあります。これは橈骨小窩といいますが、ここのところに、嗅ぎたばこという、私、見たこともないんですが、液体のたばこがあるんだそうですね。ちょんちょんとたらして、においをかいだという、そういう嗅ぎたばこを入れる場所だというんです。そういうような、嗅ぎタバコ窩という名前がいまだについています。

それから、アキレス腱というのがあります。踵骨腱という立派な日本名がついているんですが、アキレス腱のほうが有名ですよね。韋駄天アキレウスというのですが、アキレスですね。アキレスは走るのが速かったんですね。相当の武将であったということなんです。彼が生まれた時、お母さんが足首を持って池で産湯に浸けたんです。その池で産湯に浸かると矢が通らないということで、相当すごい武将になったんですが、弱点がアキレス腱だったんです。お母さんが足首を持っていたために、そこが産湯に浸からなかった。そこが弱点で、そこを矢で射抜かれてしまった。そういういわれで唯一の弱点をアキレス腱というんですね。

アトラスというのがあります。環椎のことをアトラスといいます。アトラスというのは、天空を双肩に担ぐ巨人のことをいうので、ヴェサリウスが命名をしました。重い頭を天空に例えたんです。それを支えているのがアトラス。そういうようなことで、環椎にアトラスという名前がついたんです。

それから、脳にヒポカンパス、ヒポカンプスともいいますが、海馬というところがあります。知っていますか?記憶をつかさどる場所を海馬と言っております。これは、空想上の動物がいて、怪人が乗る車を引く、前半身が馬で、後ろ半身が海魚だ、こういうのがヒポカンパスなんです。それに似ているかどうかというのは問題ですが、海馬という名前がついたんですね。

今、海馬では盛んに神経細胞が分裂を起こしているという論文が何年か前からどんどん出ています。神経細胞は、生後数が減る一方で増えないというふうに習っていると思うんですが、今では、海馬で神経細胞が分裂をしているという研究もでてきております。そんなんだったら、過去の借金は、新しい神経細胞がどんどんできて帳消しになるかなと思ったら、大間違いであります(笑)。新しい神経細胞は記憶をしっかりと守るためにできてくるというんです。過去の記憶からは絶対逃れられないですね。海馬が記憶をつかさどるというのは本当に確かなようです。

神経細胞は再生しない、あるいは、分裂しないという、今はまだ教科書にはこういうふうになっているんです。ところが、何年か後になるとまた教科書が変わると思いますが、現状では、試験の時に神経細胞は分裂しますと書くと間違いですからね。その点は気をつけていただければと思います。

また、ちょっと変わったものですが、筋肉のことをマッスルといいますね。これは、ムス(mus)とクル(cle)からできています。ムスというのは、ラテン語でネズミ(ハツカネズミ)のことです。cleは縮小文字ですから、小さなネズミとなります。皮膚の下を小さなネズミが動くと、私、お見せすることはできませんが、力こぶを出すと筋肉が動きますね。あれは小さなネズミが皮膚の下を走っていると、こういうようなことで、マッスルという名前になりました。もともと語源は小さなネズミなんだけれども、それが筋肉になったという、そういうようなおもしろい話ですね。

それから、上肢帯、下肢帯というのがあります。上肢帯のほうはショルダーガードル、下肢帯はペルビックガードル。ペルビックというのは、骨盤のという意味です。ショルダーは肩ですね。だから、ショルダーガードル、ペドリックガードルといいます。ガードルというというのは、コスチュームの上の、ストッキングをぶら下げるのをガードルといいますね。最近では、ガードルを短パンの上にはいている人を見かけますが、ガードルはそんな上につけるもんじゃないんじゃないの?と言いそうになるけれども、言うとまた大変なことになるので言わないですけれど、、そのガードルですよね。上肢をぶら下げるから、下肢をぶら下げるからガードルという名前がついたんですね。

松果体、下垂体というのが、これはまたおもしろいんですよ。エピフィーシスとヒポフィーシスといいます。エピというのは上のほうという意味です。ヒポというのは下のほうという意味です。松果体は間脳の上部にあり、下垂体は間脳の下の方にある。そういうようなことがわかれば、非常に試験も楽ですね。我々もそういうことまで知っておけば、エピフィーシスだから間脳の上部だよ、ヒポだから下だよ下、下垂体だよね。そういうのがわかれば、何ら苦労することはありません。

副腎なんかもそうですね。アドレナールグランドといいますが。髄質から出てくるホルモンをアドレナリンという。もともと何だというと、アド、レン、グランドなんです。レンというのは、腎臓のことをレンといいます。アドというのは傍。だから、腎臓の傍の腺、わかりますよね。腎臓の傍に腺があるのは副腎しかないですからね。だから、ちゃんと答えは出ている。アド、レン、グランド、腎臓の傍だから副腎だ。となるわけです。答えは出ているんだけれども、日本人はそういうところちょっと大変ですね。

うちの息子が小さいときに、アリアント、アリアント、それは何だと聞いたら、アリはアントだから、そういうふうに覚えたんだと言っていました。そうしたら、息子が大学に通っている時、ドイツ語の先生が、冠詞と名詞をくっつけて覚えなきゃだめだ、そうしないと通用しないよという話をされたようです。

そういうふうにして、ちょっと話は違うけれども、アド、レンというような、くっつけてできているというのは、非常にわかりやすいと思いませんか。英語を知っていればわかりやすいですよね。

それから、精巣のことをテスティスといいます。これはテスティファイという、証明するという意味があります。精巣は男の証明なんです。最近、ジャイナンドモルフという、卵巣と精巣が一緒にある人という人がいらっしゃるんです。それはちょっと難しいことになりますが。テスティスは男性のテスティファイ(証明)ですね。

そのようなことで、雑談で終わりましたので、会長さんにはすまないけれども、指圧師は解剖学が大事だ。こんなところで任をおろさせていただきたいと思います。

(拍手)

(司会)
先生、ありがとうございました。

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