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「35年間を振り返って」

2010/2/19 木村洋介(47期)

こんにちは。47期の木村洋介です。2009年2月に、念願叶い自分の指圧院を開業しました。

「恵まれた家庭環境に育って、あまり苦労してないでしょ」と言われることも少なくないですが、僕、本人にしてみれば「苦節34年」ではじめて人生のスタートラインに立てたという心持ちです。思い返せば 波乱の連続というか、僕のような経歴・キャラの指圧師はなかなか珍しいのではと思います。

ここまで歩んできた、かなり変わった道のりをお話します。(決して参考にはならないかも知れませんが)「こんな人生・こんな生き方もあるんだ」と何かを感じて頂けたら本望です。

出生自体が奇跡的でした。1974年・夏。

母親と叔父の母校(叔父は甲子園にレギュラーで出場した)銚子商業があれよあれよという間に勝ち上がり、そのことが「この子は生まれてくるのは無理」と言われていた母親や家族の心の支えでした。銚子商は全国制覇し、その直後、奇跡的に僕が生まれました。

幸せで恵まれた子供時代を送ったものの、中学時代から自分の内面について考えることの多い少年でした。当時の学校教育制度になかなか適合できず「このまま高校に進学しても伸び伸び出来ない。個性が埋もれてしまう、押さえつけられてしまう…」と自ら、当時でも今でも非常に珍しい中学浪人を志願しました。ちょうどその時期、画期的で斬新な自由と自主性を重んじる新しい試みの高校が、東京にたった2校現れて、そこにどうしても入学したいと1年間、中学浪人専門の予備校に通い、希望の高校に拾ってもらったのです。

自由だった高校の3年間が、今の僕の基礎を作ってくれたのかも知れません。しかし、卒業後から僕の、長い冬の時代、暗黒時代が続くことになります。木村家の家系は、祖父・父親ともに自営業を営んできて二人とも会社勤めの経験がありません。ですから僕も子供のころから「お前は勤め人には向いていない、サラリーマンは絶対に無理」と常にそう刷り込まれて来たのです。僕の世代はいわゆる「ロスジェネ世代」で、特に1974年(S49年)生まれというのは社会に出る頃は、平成不況の真っただ中。就職氷河期のまさにピークだったのです。はじめから選択肢が非常に少なく、自分がどうやって生きていったらいいのか悩みました。あらゆるアルバイトを試したり、非現実的な夢も抱いたり…。

すべてがダメで「これじゃない、自分が一生、生きていく仕事ではない」時間だけがどんどん過ぎ去り、精神的にも段々と追い詰められてきます。「自分はこの社会に不適合な人間ではないか??」とさえ思いました。そんな中、心のよりどころは本でした。本だけはとにかく片っ端からたくさん読みました。今の僕の血肉になっています。もうひとつはスポーツ生観戦、今も昔も大好きです。ただ当時、観客の側にずっといて、常に傍観者として人生のフィールドに立てない自分に、どうしようもなく焦っていました。

思い返せば人生の大転機は27~28歳の時、浪越指圧との出会いでした。
世紀も変わった2002年。僕にとってひとすじの光明でした。導かれるままに指圧の世界に身を投じました。「この道に進む」という感覚は全く無く、「この道しか無い」という感覚すらありませんでした。本当に自然に導かれるままにです…。学生時代は落ちこぼれだし、存在が浮いてしまう生徒で(笑)その辺の話は、結構みんなにインパクトが強くて有名かも知れません(笑)

ここでもまだまだ人生の波乱は続き、国家試験に落ちてしまうのです。要領がとっても悪く、勉強に向いていない…。でも、大げさでなくこれに人生すべてが賭かっている。先生方の温かい応援があり、石塚校長先生にお願いして一年間、一年生の教室に交じり、聴講生として解剖学と生理学だけでも授業に出てもよい、と。次は必ず合格することを大前提に前例のないことを認めていただきました。本当に一生のご恩を感じています。

結論からいうと、1年後の再チャレンジで91点という、これまた奇跡的な数字で合格しました!!学校での自己採点では、最後の最後150問目が正解か不正解で運命が分かれるというシチュエーションで、正直足がガクガク震えました。国試本番の午前中の前半が終わった時点でも、「1、2点の積み上げが運命・人生を分ける。生きるか死ぬかだ。」と自覚しており、昼の休憩時間はほとんど昼食も取らず、ひとり席に残ってずっと必死で参考書や問題集をひたすら開いていました。終了後、不思議と爽やかな気分で、覚悟が決まったというか、あとは天が判断してくれると…。91点で合格。今でも神様がくれた2点だと思っています。

国家試験に合格後、修業しながら、東京各区の行政が主催する講座やイベントに参加しつづけました。特に某区とは長く深い付き合いで、若者を育てていこう、地域を活性化しよう、学び経験してよりよく生きる、このことに断トツで熱心なこの区の考えに共鳴した僕は、片っ端からすべての講座や行事に、自ら手を挙げて携わり(自分の得意分野であろうが不得意分野であろうが、一切関係なし)企画・運営スタッフや、そういったもののリーダーをやって街・地域を盛り上げ。非常に回りくどい(?!)方法ではありますが、信頼と実績をコツコツと積み上げ、現在では本業の指圧と、続けてきた一連の活動がリンクしたりして、本当に多くの色々な人間関係・人脈ネットワーク、そして人間の幅や経験を広げ・深めることが出来ました。かけがえのないものを得ることが出来ました。現在進行中でもあり、僕のライフワークです。

指圧院を開業して以来、患者さんとの「人との縁」。

「人」と「人」との、「心」と「心」のつながりを大切に地道にコツコツ丁寧に、ひたすら積み重ねています。僕の生きる道は こういうやり方しかないのかなぁと…。これといって飛びぬけた才能が何も無く、不器用極まりないし、要領の悪さは突出しているし(苦笑)

そんな僕にたったひとつだけ才能があるとしたら、「人から応援される才能」だと思います。

今、僕が幸せに頑張れているのはたくさんの人の支え・応援があったからです。きれい事でも、聞こえの良いことを言っている訳ではなく、僕にとっての真実だし、全てです。僕もいつの間にか、35歳になりましたが、これまでの人生を生きてきて、自分の存在意義とか生きる方向性、大切にしていくものが今、やっと見えて来ました。

これから指圧師として世の中に出る皆さんや、不遇の時を過ごして、悩み・迷う人たちにもこの一風変わった、波乱に満ちているけど多くの心ある人に愛され、幸せに生きている。
僕の人生に何かを感じてもらい、明日の力に少しでもなれたら最高に嬉しいです。
これからも一歩一歩、前進して行きます。最後まで読んでくださりありがとうございました。

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うちかわ指圧

日本指圧専門学校 第47期
「うちかわ指圧」木村洋介

著者について

木村洋介(47期)
うちかわ指圧

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