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日本の指圧、世界の指圧(2)

2009/12/10 小野田茂(25期)

ヨーロッパの動き

ヨーロッパにおける指圧は40年の歴史があります。初めに、ヨーロッパの美容、理髪の学校が教育の一環として日本の指圧に興味を覚えました。そこで日本の指圧の学校にコンタクトを取り2、3の国の美容、理髪関係の学校が指圧の先生を日本より招待してセミナーを開いた事がヨーロッパにおける指圧普及の種まきになりました。その当時、日本で殆どの指圧関係の団体は、海外進出に関心がありませんでした。しかし、法制化後、指圧の人気が国内において高まる中、増永先生は逆に西洋に活路を求めました。増永先生の創作した指圧が禅指圧という名で、ヨーロッパ、アメリカで水が真綿にしみこむように広がっていきました。このことは、東洋ブームの波とのタイミングが一致したこともひとつの要因ですが、もうひとつの最大の要因は、ニューヨーク在住の大橋先生が増永先生のパイロット役を果たしたことです。英語を話す同盟者は、海外において増永先生の指圧を何の苦もなく普及させる役割を果たす重要な鍵を持っていたと言えます。先生は57歳で癌にて死を迎えるまで、増永流指圧の普及に邁進されました。その後、大橋先生とそのお弟子さんたちはヨーロッパと北米で禅指圧の普及に努めました。後に、大橋先生は自分の指圧を確立してOHASHIATSUという流派を旗揚げしました。現在、先生はニューヨークを中心にして活動しています。お解かりと思いますが、この禅指圧は指圧界のマンモスであり、日本を除いた世界各国の指圧従事者の8割は禅指圧系の人たちと言えます。このことは、日本の指圧界の人たちには到底理解出来ないであろう真実と言えます。

ヨーロッパの指圧の普及初期

禅指圧普及の初期段階では、直弟子たちが増永流の東洋医学に基礎を置く伝統を引き継いで普及したと言えます。しかし、時がたつうちにその後継者たちは、指圧を形成するための共通の本体、すなわちベーシックから離れ始め、独自のスタイルを創造するようになっていき、核分裂のごとくたくさんの禅SHIATSU系と称する団体がヨーロッパ中に出現しました。西洋ではこの傾向が顕著で、創設者が伝授してそして正当に継承しなければならない様々な技は成熟することなく、そのルーツを失い始めることが往々にあります。個性とエゴを履き違える輩が出るのは、どの世界でも存在します。そうこうするうちに40年の歳月が経ち、今改めて、増永先生が敷いた正統路線に戻そうという動きが始まりました。すなわち基本に返るという全く単純にて一番難しい見直しが始まったと言えます。

浪越指圧の動き

浪越指圧も日本指圧専門学校(浪越和民理事長、石塚寛校長)が主体となり、指圧普及に邁進してまいりました。海外普及は長年、単発ながらも日本指圧協会とのコンビで30年位前から毎年、外国で国際セミナーを開催してきました。ここ5年、浪越指圧ヨーロッパが音頭を取り日本指圧学校の先生を招聘してヨーロッパ、特にイタリアを中心にして浪越、増永のジョイントセミナーを開催して、浪越と増永の垣根を取り払う事に努力実行してまいりました。急遽、リーダーたちが手綱をとって指圧の本来の姿を探求してきたわけであります。浪越指圧は他の流派に敬意を払い奢る事なき王道の道を歩く姿をアピールして来ました。実際、指圧の歴史を紐とけば、浪越徳治郎先生及びその同志の人たちの協力により、指圧はあんまや他の手技とは違ったものとして認められています。また、日本では厚生労働省にて正式に法制化されております。浪越指圧は「心して、道から外れず原点である基本に戻らなければならない」と常に国際セミナーで言い続けています。空手や合気道と同様、基本の繰り返しはことさら意識を掻き立てなくても、実行のみで真髄に近づく事を可能にします。すなわち、意識の相互関係なしに、体が勘という原始感覚で直接反応できるようになります。

双方の流派は、それぞれ違った動機で指圧の世界の人たちに認められております。長い間、多くの相違点があり平行線を保ってきました。しかし、世界中に真の日本の指圧を広めていくには今こそ互いを理解し同じ方向を目指しての共同作業が必要なはずです。

01
日本指圧専門学校小林秋朝先生(17期)

02
日本指圧専門学校浪越雄二先生(27期)

(つづく)

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